ドキュメンタリー映画
8月2日の25todayのニュース記事で、「盗まれた世代」(もしくは「奪われた世代」)に関する裁判の記事が掲載されていました。アボリジニのブログを書く機会を頂き、彼等の歴史を勉強するにつれ、「盗まれた世代」の問題が今を生きるアボリジニ達に及ぼしている、とてつもなく残酷な影響について考えます。非常に苦しい想いが致します。
私がご紹介するTandanyaの『Reconciliation Week』のイベントも、今回が最後。ミニシアターといっても、50人以上は収容できそうな立派なシアターでは、アボリジニのドキュメンタリー映画が上映されていました。『Reconciliation
Week Festival of Indigenous Film』。今を生きるアボリジニの人々に焦点をあてた、短いドキュメンタリー映画の数々です。『Reconciliation
Week』の期間中、毎日繰り返し上映されました。
ガイドツアーが終わり、私が途中から観た映画は、おそらく「盗まれた世代」の人々の話だったと思います。いつも申します通り、私の英語の読解に大変不安があることをご考慮して頂いた上で、私が観た映画についてご紹介しますと。故郷に里帰りするアボリジニの男性の姿を追ったドキュメンタリーです。おそらく、彼はアボリジニではない(白人?)の妻と子を持っています。故郷で彼はアボリジニの母と再会し、初めて父の墓参りをします。母は、息子に父の墓を今まで教えていなかったことを後悔しています。
アボリジニの男性の、心の中の葛藤が印象的でした。故郷に向かう車を運転しながら、アボリジニの男性は胸中を苦しげに吐露します。その英語を私は十分に聞き取れなかったけれども。その苦しみは、アイデンティティの喪失であると感じました。既に自分の生活の中心となっているヨーロッパの文化と、自分の肉と血を構成するアボリジニの文化との間でせめぎ合う自分。時々声を荒げて見せる、激しい苛立ち。涙の中にある、深い悲しみ。アボリジニの母を好きだけれども、アボリジニの文化を肌身でよく理解できぬ自分。ヨーロッパ人でなければアボリジニでもない・・・。
「盗まれた世代」に関しては、後程もう少し勉強をした後に、お伝えしたいと思っていますが、今、私が知る範囲内で少しご紹介します。オーストラリアの国の政策として、アボリジニの子供達が強制的に親元から引き離され、ヨーロッパ人の家庭で育てられた時期がありました。そのように育った子供達が「盗まれた世代」。親から子への文化の継承が完全に断たれたのです。アボリジニであるがアボリジニの文化を全く知らない。「盗まれた世代」の子供達は、自分が一体何者か、アイデンティティの問題に苦しんでいるといいます。