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1967年の憲法改正

「The Journey ― 40 Years On」。1967年の国民投票と憲法改正の歴史を物語る展示会を、これから数回に渡りご紹介します。
 Reconciliation Weekのイベントの一つとして、5月15日から7月15日に開催。アデレードの南オーストラリア博物館、常設展示のアボリジニギャラリーの奥、小さな一室が、「The Journey」の展示会場でした。

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 「The Journey」は、三部構成。転換点となった1967年を境に、夜明け前の「1933―1966」、次に「1967」、そして「1967―2007」のその後の歴史を、写真のボードに解説をまじえて教えてくれました。
 まず今回は、1967年の国民投票と憲法改正とは何であったのか?これについて書きたいと思います。
 1967年5月27日の国民投票は、オーストラリアの憲法改正の是非を問うものでした。アボリジニに関する憲法の項目の改正です。結果、90%以上の圧倒的多数の「YES」で票決され、その年の9月に改正された項目は次の二点。(誤訳がありましたら、どうか教えて下さい)

 はじめに、Section 51の(xxii)。
The Parliament shall, subject to this Constitution, have power to make laws for the peace, order, and good government of the Commonwealth with respect to:-
連邦議会は、次に該当する人民のために法律を制定する権限を持つ。
その対象となる人民は、
(xxvi)The people of any race, other than the aboriginal people in any State, for whom it is necessary to make special laws.
 アボリジニ以外の人々。
 この「other than the aboriginal people in any state」の部分を外したことが、改正の一点目です。
 これによって初めて、アボリジニの人々にとって『有益』になる法律を、議会が制定できるようになりました。言い換えれば、この改正前においては、国はアボリジニの幸福や利益を守るためには機能していなかった。そう言えるかと思います。

次に、Section 127。
In reckoning the numbers of the people of the Commonwealth, or of a state or other part of the Commonwealth, aboriginal natives should not be counted.
 人口調査にアボリジニは算入されない。
 この項目自体を全て削除したことが、改正の二点目です。それにより、アボリジニも国の国勢調査の対象となったのでした。

 ところで、Reconciliationの象徴的な「1967年国民投票」を、私は初め、アボリジニの選挙権や市民権を認めたものと勘違いしていました。そう誤解している人が、オーストラリア人の中にも少なからずいるようで、この展示会でも、この誤解について触れています。その説明によると、それらは1967年以前から認められていたそうです(選挙権は1962年、クイーンズランド州のみ1965年。市民権は1948年)。しかし、それらが真の意味を持たなかったのが、1967年以前の時代。
 次回から、憲法改正前「1933―1966」の約三十年間に及ぶ、アボリジニと白人達の活動の歴史をご紹介したいと思います。

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