残された請願書
※今回は引き続き、アデレードでみた1967年の憲法改正を物語る展示会「The journey」についてご紹介します。
請願書には、どの程度の効力があるのでしょうか?
請願とは人民が統治者に対し希望を述べてその実現を願い出ること。君主に対して誓願しても処罰されない権利として、日本国憲法でも基本的人権の一つとして数えられていて、言論・出版の自由や議会政治の発達とともにその重要性を失ったそうです。日本の請願法(1947年)によれば、国会に対する請願は議員を通じて、他の官公署には管轄官公署に書面で提出する。しかし、請願を受けた機関は回答したり、希望通りの処置をする義務があるわけではないそうです。(以上、マイペディアを参考)
請願書とは、立場の弱い人間が困窮する状況を打開するためにとれる数少ない手段の一つ。暴力に訴えず、平和的に合法的に現実を変える手段。請願書には、数多くの人々の強い思いが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだと思うのです。
その思いに比べれば、蟻んこみたいなものですが、実は私も会社を辞める前に、会社のエライ人へ請願書もどきを送った経験があります。返事はありませんでした。せめて読まれていれば有り難いですが、メールで送った文章は、おそらく秘書さんの手でポイとごみ箱に直行して終わりだったでしょう。
訴えるという行為は弱いです。訴えて、それが効力を持つには、訴えられた側の人間の力量に左右されるからです。請願書を受理するのも破棄するのも、訴えられた側次第。
しかし、これからご紹介する請願書は、今、私達がその存在を知ることができる形で、きちんと残されました。
まずご紹介しますのが、1967年の憲法改正へと繋がる、ほぼ同時期にだされた2つの請願書。
1957年にThe Aboriginal-Australian Fellowshipは、憲法改正を求める請願書をだしました。続く1958年には、The Federal Council for Aboriginal Advancementが、ほぼ同様の内容の請願書を、3ヶ月間で二万五千人以上の署名を集めて、議会に提出しました(上の写真)。これらの請願書が求めた、Section 51の(xxii)とSection 12の項目の改正は、後に見事に実現することになります。
次に、アボリジニの文化を象徴する木の皮に書かれた請願書。アボリジニアートが施された美しい請願書です。
この請願書は、1963年、Yirrkalaの複数のアボリジニグループを代表する9人の署名入りで、議会に提出されました。アボリジニのGumatjの言葉と、訳して英語によって書かれています。アーネムランドの彼ら伝来の土地で、彼らに無断で採掘や土地の削除が行われていること。また、その土地は、太古からYirrkalaの人々の狩猟や採集の土地であることを訴えました。
これらの残された請願書の背後に、どれだけ多くの捨てられた請願書があるのか、請願もされずにかき消された多くの人々の思いがあるのかを考えます。今に残る請願書は氷山の一角であり、どれほどたくさんの思いが、うねりとなって歴史の流れを作り出しているのか?
訴える、思いを伝えるという行為は、全くの無駄に終わることも多いかもしれないが、少しでも何かを変えることができるのかもしれない。思いをのせて届けられた、これらの請願書は、確かに歴史に足跡を残したのだから。