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2007年10月19日

残された請願書

 ※今回は引き続き、アデレードでみた1967年の憲法改正を物語る展示会「The journey」についてご紹介します。

 請願書には、どの程度の効力があるのでしょうか?
 請願とは人民が統治者に対し希望を述べてその実現を願い出ること。君主に対して誓願しても処罰されない権利として、日本国憲法でも基本的人権の一つとして数えられていて、言論・出版の自由や議会政治の発達とともにその重要性を失ったそうです。日本の請願法(1947年)によれば、国会に対する請願は議員を通じて、他の官公署には管轄官公署に書面で提出する。しかし、請願を受けた機関は回答したり、希望通りの処置をする義務があるわけではないそうです。(以上、マイペディアを参考)
 
 請願書とは、立場の弱い人間が困窮する状況を打開するためにとれる数少ない手段の一つ。暴力に訴えず、平和的に合法的に現実を変える手段。請願書には、数多くの人々の強い思いが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだと思うのです。
 その思いに比べれば、蟻んこみたいなものですが、実は私も会社を辞める前に、会社のエライ人へ請願書もどきを送った経験があります。返事はありませんでした。せめて読まれていれば有り難いですが、メールで送った文章は、おそらく秘書さんの手でポイとごみ箱に直行して終わりだったでしょう。
 訴えるという行為は弱いです。訴えて、それが効力を持つには、訴えられた側の人間の力量に左右されるからです。請願書を受理するのも破棄するのも、訴えられた側次第。
 しかし、これからご紹介する請願書は、今、私達がその存在を知ることができる形で、きちんと残されました。
 まずご紹介しますのが、1967年の憲法改正へと繋がる、ほぼ同時期にだされた2つの請願書。
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 1957年にThe Aboriginal-Australian Fellowshipは、憲法改正を求める請願書をだしました。続く1958年には、The Federal Council for Aboriginal Advancementが、ほぼ同様の内容の請願書を、3ヶ月間で二万五千人以上の署名を集めて、議会に提出しました(上の写真)。これらの請願書が求めた、Section 51の(xxii)とSection 12の項目の改正は、後に見事に実現することになります。

 次に、アボリジニの文化を象徴する木の皮に書かれた請願書。アボリジニアートが施された美しい請願書です。
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 この請願書は、1963年、Yirrkalaの複数のアボリジニグループを代表する9人の署名入りで、議会に提出されました。アボリジニのGumatjの言葉と、訳して英語によって書かれています。アーネムランドの彼ら伝来の土地で、彼らに無断で採掘や土地の削除が行われていること。また、その土地は、太古からYirrkalaの人々の狩猟や採集の土地であることを訴えました。

 これらの残された請願書の背後に、どれだけ多くの捨てられた請願書があるのか、請願もされずにかき消された多くの人々の思いがあるのかを考えます。今に残る請願書は氷山の一角であり、どれほどたくさんの思いが、うねりとなって歴史の流れを作り出しているのか?
 訴える、思いを伝えるという行為は、全くの無駄に終わることも多いかもしれないが、少しでも何かを変えることができるのかもしれない。思いをのせて届けられた、これらの請願書は、確かに歴史に足跡を残したのだから。
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2007年10月17日

今後の予定

※今回は全くアボリジニに関係ない話 です。今の私の所感なんですけど、たまには、こんな話もアリということで。

 思えば遠くに来たものです。
 パース入りして東へ横断、シドニーが旅の終着点と初めは思っていましたが、さらに北上して、ニューカッスル、バイロンベイ、サーファーズパラダイスときて、ブリスベンまで来てしまいました。
 シドニーにいる時、確かに働くつもりだったんです。しかし、仕事を見つけるためには英語力がもっと必要で、英語をもっと勉強するために、『働く代わりにタダのホームステイWWOOF』に参加しようと思い、ホストファミリーをなんとか見つけたらニューカッスルより北だった。
 その勢いに任せて、北にどんどん流れていきました。

 そして、その後、ケアンズに用事が出来まして、今月末にはケアンズに到着せねばならないです。
 もうちょっとブリスベンにいたかった気分ですが、これくらいが潮時かもしれません。現地の人によると、ブリスベンの夏は「高温高湿で熱帯夜」だそうで、これから夏を迎えるブリスベンには、ちょっと住めそうにないです。暑いより、寒いのが好きで得意です。
 そして、来月初旬には、これまた用事で、一気にシドニーに戻ります。私はシドニーが一番便利な場所だと思うので、ここで職探しをします。
 そして、仕事が見つかっても見つからなくても、ここらで、ふらふら放浪旅は一区切りつけようと考えています。仕事が見つかったら万々歳でお金を稼ぎ、見つからなかったら、オーストラリアの旅に本当のフィナーレを迎えて(タスマニアかウルルに行ってから)、日本に帰ろうと思います。
 流石にお金はもう無いです。働くことが優先事項です。
 来月の今頃、私がどこで何をやっているか、私にも分かりませんが、旅ではなく、働くモードになっていて欲しいと思います。というか、私自身が努力して、そうしていなければなりませんね。
 当日の宿さえ決まってないのが普通だった私も、社会復帰を真剣に考える時期に入ってきたんでしょう。
 ブリスベンのバッパーのベランダから、朝の8時ぐらい、交差点を渡る通勤に向かう人の大きな波を見たんです。以前、私もこの人の波の中にいたんだよなあと、しみじみ思いました。

 私はいつも、「ないものねだり」なんです。
会社にいた頃は、今のような放浪旅がしたくてたまらなかった。一人で、明日どこにいるかも分からないような移動の日々を送ってみたかった。
 それを叶えたはずなのに、今度は、バッパーの汚い相部屋ではなくて、ひとまずは綺麗な一人部屋で、朝ちゃんと起きて、昼間は仕事をして、夜はちゃんとくつろいで寝る日々を送りたい。
 家で転がってポテチでも食べながら、DVDを鑑賞する休日の昼下がり。そんな時間、オーストラリアに来てから、一度たりともありません!
 仕事がないのだから、今は休日であるのに、休日だから味わえるはずの、家でゴロゴロゆったりくつろげる時間は皆無。
 それが移動の旅の一面です。
 しかし、何だかんだいっても、私の本性は遊牧民族だと子供の頃から思っているので、多分、他の人よりも、この移動生活に順応しているような気がします。
 だけど、今はお金を稼ぎたいし、何よりも、責任を持って仕事をする喜びや達成感を私は知っているので、それを再び、手にしたいのです。
 日本に小さな畑つきの家をもって、そこを拠点として世界中を旅して回れる仕事ができれば、本当に幸せですね。

 実際にやってみる、というのは大切なことでした。
 オーストラリアに来て日本の素晴らしさに気付くのと同じように、会社をやめて放浪旅をしたからこそ、会社員の良さに気付きます。でも、会社員の悪いところ、というのにも同様に気付くのです。
 同じように、放浪旅の良いところ、悪いところにも気付きました。
 全てが全てOKだなんて生き方、この世界にありませんね。
 その人の性格にあった生き方しかできないし、その人の性格にあった生き方ができれば幸せだと思います。

2007年10月14日

穴場!ブリスベン

 北はケアンズ、南はゴールドコーストに挟まれて、ちょっと目立たないクィーンズランド州の州都がブリスベン。今まで目的地とした中で最低レベルの期待度でしたが(スミマセン)、その分、良さを知った後の感動はひとしおでした(ちなみにメルボルンは最高レベルの期待度だった分、がっかり感が一番でした)。ブリスベンは、なかなかの穴場ですよ!
  ゴールドコーストを代表するサーファーズパラダイスでブラブラしているより、早くブリスベンにくれば良かったなあと自分は後悔しています。ブリスベンより日本人がいっぱいのサーファーズパラダイスは、遊園地だとかお金をかけないと遊べない所ばかりなんですよね。金持ちとサーフィン大好きの方なら、その名の通り楽園でしょうが、時々朝昼飯をケチって一緒にしちゃうような節約旅の私には、波打ち際でトドよろしく波にもまれて笑ってるぐらいしかないです。まあ、それも非常に『非常に』楽しいのですが! 
 週末にちょろっとサーフィンを楽しみたいぐらいなら、ブリスベンに住めば宜しいです。ブリスベンからサーファーズパラダイスまで、バスで1時間ぐらいしかかかりませんから。ブリスベンの方が勿論街の規模が大きく、ショッピングの選択の幅も広く便利ですよ。

 ところで、ブリスベンで私が最も好きなのは、州立図書館です!(また、マイナーどころですね)。建てられて、やっと一年になろうかという建物は、非常にお洒落でモダン、インターネットや本を読むスペースは一流ホテルのロビーみたい。

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 私は図書館が大好きで、パース、アデレード、メルボルン、シドニーと調査を続けてきましたが、ブリスベンが一番好きです。メルボルンの宮殿のような図書館もステキなんですが、一市民の 私は圧倒され過ぎてちょっと落ち着かないですね。
 ここは美術館や博物館、植物園も充実しています。なんといっても建物が新しくてキレイでステキ。無料で楽し めるこれらの文化施設こそが、私の観光名所です!サーファーズパラダイスの最大の弱みは、こういう無料文化 施設がないことですね。 
 そして、こんな感じの私にとって、ブリスベンは穴場なのでした。その辺をご了承おき。

  そんな訳で、数日前からブリスベンに潜伏中です。ブリスベンについて話したついでに、私の大好きな木の花も ご紹介しましょう。今、ブリスベンでは、この花がちょうど満開。あちらこちらの街角に、鮮やかで美しい色を 添えています。
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 木の名はジャカランダ。植物園の無料ガイドツアーのガイドさんの話では、オーストラリアの木ではなくブラジ ル原産です。移民が持ち込んだんですね。オーストラリアではここクイーンズランド州こそが、この木が最 初に植えられた所だそうです。藤の色を思い起こさせる雅な紫には、いつもウットリ。そして、風に吹かれて花 が散る様は、桜に相通じるものを感じます。実際は花びらが散るのではなく、ラッパ型の花全体が落ちるんです が。「紫の桜」は本当に美しく、私の大のお気に入りです。この花のおかげで、ブリスベンの私の印象もアッ プしたのでしょう。
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 それでは、このブログの主旨、アボリジニに関する情報を、触りだけ今回お伝えします。
 まず、ブリスベンはアデレードと似たような感じがします。アボリジニの情報をキャッチし易いです。実は、メルボルンとシドニーは、アボリジニの情報を非常にキャッチしにくく困ってました。この二つの大都市に、アボリジニに関する情報がないのでは決してありません。ただ、鬼太郎の髪の毛のアンテ ナの如く、私の情報をキャッチする「アボリジニアンテナ」の感度がどうも鈍らされてしまっていました。そこ には、刺激や情報があまりにも多すぎて。単純にいえば、他にも楽しいことが盛沢山の街だから?また、大都市 だけあって、アデレードと違ってアボリジニを見かけることがほとんどなく、大都市の雑踏に、彼らの影がかき 消されてしまっていたようにも感じます(観光の世界は別にして)。蛇足気味に付け加えれば、アデレードのア ボリジニ(Kaurna)が、私が訪れた州の中でも、最も際立って表舞台で(観光でなく、政治などの公の世界で) 活躍していると思います。あくまでも、少しかじった程度の人間の所感ですけど。
 アデレードの情報量には及ばなくとも、ブリスベンの情報は、分かり易い形で、非常にコンパクトにまとまって いるように思います。

 後程、詳細をご紹介するスポットは、州立図書館の中にある情報資料センターKuril dhagun、博物館の中にある 展示コーナーDandiiri Maiwar、現代美術館GoMAの現代アボリジニアート、などです。市内にある植物園では、アボリジニと白人にまつわるステキな話も知ることができました。
 これから、未だ途中のアデレードでの出来事(特に国民投票にまつわるThe Journeyは是非とも皆様にお伝えし なくてはならないことと考えています)と交互に、現在進行形のブリスベン情報をお伝えします。

2007年10月09日

アボリジニin オージー家庭

WWOOFでは数多くの貴重な体験をしましたが、今回は、アボリジニに関することを少しばかり。一般のオージーの家庭で、実際にアボリジニがどう思われどう扱われているのか、私には興味があることです。
まず、真っ先に遭遇したのが、トランプです。日本では大人がトランプに興じるのは一般的ではないと思いますが、西洋の文化では大人こそトランプで遊ぶようですね。仕事の合間に必ずといっていいほどしたトランプ。そのカードの柄がアボリジニアートでした。そして、壁にはアボリジニアートが幾つか飾られていました。アボリジニアートはオージーの家庭に、ごく普通に取り入れられているように感じます。

また、オーストラリアの音楽として、ディジェリドウの現代アーティストの曲も聴かせてくれました。コンサートも観に行っていて、CDはサイン入り。ディジェリドウとロック調の音楽を組み合わせたものでしたが、私が「この人は有名なアーティストか?」と聞くと、渋い顔で「そうは思わない」との答え。実は私も同感で、感想はそんなにイイ曲じゃないな(笑)。こう、辛口の感想を書けるのも、オーストラリアの滞在も長くなってきて感じてきましたが、ディジェリドウは決して珍しいものではないのです。ディジェリドウの現代アーティストというのは、巷にたくさん存在している。彼は、あくまでもその中の一人であって、「ディジェリドウだったら誰の曲であっても素晴らしい」と感じる必要はないわけです。けれど、私が思うに、それはたいへん良いことであって、ディジェリドウが現代調にアレンジされアーティスト同士が切磋琢磨する競争原理にさらされているということは、ディジェリドウが進化を続け、今もなお生き生きと生き続けている証拠だと思うのです。「侘び寂び」を好む、私の個人的な好みでは、ギターなど無しの純古典的なディジェリドウの音楽の方が味わいがあって好きなのですけどね。

話を戻しまして、私がお世話になったホストは、他のオージーよりも、アボリジニに興味があるのではないかと思った出来事を次に。ホストの奥さんが、満面の笑顔で私に話してくれました。ホストが、自分達のファームの地名の意味を調べたそうなのです。長い地名に英語を思わせる部分があったので、これまで英語かと思っていたが、それはどうやらアボリジニの言葉だった。そして、その意味がステキだったことを、大変喜んでいたのでした。私には、それが新鮮でした。アボリジニの言葉を気に入っているということがです。ご近所の人を招いてのパーティーでの歓談の際にも、嬉しそうに話していました。また、数日前に見た美しい虹の話題も出たのですが、ホストがRainbow Serpentと口走った時には、思わず私も「それを知っている」とはりきって言ってしまったものです。
このように、私のオージーのホストからは、アボリジニに対する好意を感じました。

ところで、私はオーストラリア人がアボリジニをどう思っているのか、たいへん興味があります。実際のところ、一般のオージーが、アボリジニに対して、どのような感情を抱いているのか是非知りたいと思っています。けれど、ホストファミリーに「アボリジニをどう思っていますか?」と疑問を投げ掛けることは、今回、出来ませんでした。答えに困ると思ったからです。アボリジニから土地を奪った祖先をもつオーストラリアの白人に、彼らをどう思うか聞く。後ろめたい歴史をもつ間柄について、どんな答えがかえってくるのでしょうか?

ここで注意事項です。実は私のホストは移民です。ご夫婦二人とも、オーストラリアとは違う国で生まれ育ち、事実上の結婚後、お子さんと共に移住してきました。だから、もしかしたら、生まれも育ちもオーストラリアのオージーとは感覚が違うかもしれません。アボリジニに対する見方も、生粋のオーストラリア人とは全く違うかもしれません。けれど、そもそも「オーストラリアの白人」とは何なのか。私は未だ多くを知らない未熟者なので、「オーストラリアの白人」=「征服民族の子孫」と捉えるところがありました。しかし、実際は、オーストラリアの白人が全て、アボリジニの土地を奪った先祖をもつわけではないのです。オーストラリアの白人の全てを一つの見方でまとめてしまう考え方は、「中国人と日本人は同じでしょ」と似たようなところがあります。世界的にみて、驚異的に単一民族国家といっても良いだろう日本で生まれ育った私は、他民族国家であるオーストラリアで、日本では気付けなかったモノの見方を学んでいる最中です。日本人は日本人の共通の歴史と文化をもつ。それは、ものすごいことですよ。一方、オーストラリア人は全てが同じというわけではないのです。それは単純なことのようだけれど、世界的にみても特殊な国だと思う日本にどっぷりの私が、それを聞き知りではなく体験で実感するには時間を要しました。

「アボリジニをどう思っていますか?」今は、この直接な疑問をホストに投げ掛けても良かったのではないかと思っています。一つに、答えに窮するかと思っていた疑問は、ホストが移民である点で、その捉え方は生粋のオーストラリア人(生粋という言葉を使うのもどうかと思いますが)とは異なっていただろう点に今は気付いていること。もう一つに、もし答えに窮したとしても、西洋の人達は、日本人が答えに窮するだろうと遠慮しがちなことに対しても、しっかり自分の意見を言おうとする気があるからです。例えば、政治の話。どうも私達日本人は、普通の日常会話で政治の話をすることに慣れていません。けれど、オージーの家庭に入って驚いたことは、小学生の子供までもが、「ハワードはこう、あの大臣はこうだ」、など、自分の意見をいっちょ前に親に話して聞かせているのです。ある日、私は、「新しく首相になった人は、どんな人か」と聞かれました。その答えを英語で上手く表現できなかった。その前に、新首相のことをまるで知らないのだから、はじめから英語の表現の問題ではなく、いろいろと反省した次第です。

2007年10月06日

WWOOF明け

皆様、お久しぶりにしております。
この前の水曜日、やっとWWOOFが終了しました。
途中、逃げ出すチャンスができそうだったのですが、敢え無く撃沈、約1ヶ月もの長い滞在となりました。あっという間に10月を迎えていました。
今はクイーンズランドに突入、ゴールドコーストに上陸しています。
ファームステイでの起きてから寝るまでの英語生活は流石に疲れまして、WWOOF直後はバイロンベイで豪遊(?)後、反動で体調不良で寝込み、次にサーファーズパラダイスで日本人の友人と思う存分日本語での会話を楽しんでから、一人旅を再開しようとしています。
明日明後日から、真剣にブログに取り組みますので、日豪のスタッフの方へ、もう少しだけ、どうか時間を下さい。

ところで、WWOOFの感想について、ちょこっとだけ書きたいと思うのですが、長所としては、英会話を勉強するには極めて良いです。皆様に是非ともお勧めします。
一緒にご飯を作って、一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見て、一緒に仕事をして、etc。
実際の英会話と外国の文化を学ぶには、本当に有益でした。色々なことを学びました。
しかも、6時間ほど働く代わりに、宿泊費と食費は完全にタダ、お金は全くかかりませんし、3日程の短期の滞在も普通ですので、これからオーストラリアを旅行しようという方、利用されてみてはいかがでしょうか。
次に、ちょっと悲しかったことを書けば、WWOOFのホストのご夫婦と親しくなれたのですが、もっと仲良くなるまでにはいたらなかったと、私自身が思うことです。
私が作った寿司などの日本食をご夫婦が喜んでくれたり、楽しかった思い出があり、幸運なことにホストのご夫婦が良い方だったのですが(だから一ヶ月もいてしまった訳ですが)。
しかし、より深く仲良くなろうとすればするほど、言葉の壁や文化の壁が大きく立ちはだかるように感じられました。同じ文化で育った者同士にある暗黙の了解の部分の差異、根本的な文化の違いを根強く感じました。
私達は確かに親しくなれた。けれど、どこまで私達がお互いを理解できたのかどうか、別れた後、寂しい思いがしたのも事実でした。
正直、自分の気持ちの整理が出来ていないので、その独特の寂しさを未だうまく表現できないのですが。
とにかく、たいへん良い経験をさせてもらいました。