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2007年11月27日

さよなら、ハワードさん

   2007年11月24日。総選挙の勝敗が決した後の、午後10時半を過ぎた頃だった。
 テレビを再びつけると、ちょうどライヴ映像。ハワードさんが大勢の人に迎えられて、壇上にあがるところだった。そして、英語がよく分からない私が、ハワードさんの演説を聴くのではなく眺め始めると、私は正直慌ててしまった。
(今回の総選挙で勝ったのはLabor 労働党であって、その党首はケビン・ラッドさんだよな?!ハワードさんじゃないよな?!)
 もし、私が勘違いをしていて、労働党の党首がハワードさんだったとしたら、そのすぐ前に、日本の家族に「野党が勝ったよ!首相が新しい人に変るよ!」と、少々興奮気味に電話で話したのが、カッコ悪い。 
  けれど、総選挙に負けたはずの壇上のハワードさんに、負けた後の惨めさのようなものはない。堂々とスピーチをしていて、日本なら「私の不徳が致す所で、」「ご支持の皆様方に多大なるご迷惑をおかけして、」、ゴメンナサイと頭を下げて、寂しい背中を見せつつ早々と立ち去るところだと思う。
 しかし、よくよく演説を観察していると、やっぱり、ハワードさんは負けていたのだった。所々、分からない英語が混じっていたけれど、ようやく私にもそれが確信できた。

 2007年11月24日。オーストラリアの歴史が変わった日に遭遇できたことを、私は光栄に思う。異国の地の選挙開票の速報特番を視聴できるなんて、滅多に無いことだ。
  開票結果の画面は、日本と同じようなものが、英語で書かれているものである。次々に結果がでる選挙結果に、数人のコメンテーターがやんややんやと解説をするというのも、日本と同じスタイル。今回の選挙のポイントである野党と与党が占める国会座席のパーセントがグラフで表されるのも同様の感じ。
  メモするのを忘れていたのが本当に勿体無かったのだけれど、私の記憶を手繰り寄せれば、Prospect (開票予想)の後に、「Too closed to call」(接戦で結果は未だ分かりません)、「Labor to Win」(労働党の勝ち)だとか、こんな語句とお会いできるのも、こんな時ぐらいだろう。因みに余談ではあるが、選挙番組の中で、落選した候補者の写真にバッテンが書かれシュレッダーにかけられる、という演出をみたけれど、ちょっとそれはツメタイんじゃないの、と思ったりもした。
 総選挙の結果は意外と早く着いたように、私は思う。夜の8時ぐらいには「Lavor Win」の文字が幾つかのチャンネルで踊っていたはずだ。ドラマ的には、最後まで接戦のまま持ち込むのが面白いけれど、Lavorの勝利ということで、早々と落ち着いた印象が私にはある。

 さて、ハワードさんの演説で印象的だったことを幾つか書く。ハワードさんの演説に惨めさはなく、堂々としていたのは前述の通り。けれど、その堂々とした表情の中に、全てが終わった後の寂しさのようなものがあった。後で書く、ラッドさんの演説の時に感じた、未来にかける意気込みというのが感じられなかった。それで、ハワードさんは確かに負けたのだと、私は分かったのである。
 演説の中身の詳細をお伝えするのは、私の英語力では到底不可能であるので、英語と政治に不得意な、異国の一般市民の目からみた印象を書く。
 ニュースではきっと触れられないだろうことを書くと、ハワードさんの演説の最中に、それに割り込もうとする聴衆がいた。それらに対して、ハワードさんが、「Please!」もしくは、多分こっちの方が正解だと思うけれど、「Freeze!」を何度も連発して、それらを制止して話を続けていたのが印象的である。このような場で野次が飛ぶというのも、私にはピンとこないし、日本なら警備員がすぐに飛んできて外に連れ出すだろうから、それが野次だったのか分からないけれど。自分の英語の理解力の低さを恨めしく思う。
 日本と全く異なる点をあげれば、家族を引き連れて演説をしていたことだ。奥さん、子供、その子供の配偶者など。それはラッドさんの演説時も同じ。ファミリー。オーストラリアにはそれにこだわる文化があるとは聞いていたが、それを改めて実感した。さらに、ラッドさんにしろ、演説の最後の方で、家族に御礼を述べるコーナーがあった。そこで、ちょっとした面白いことがあった。何を喋ったのか完全には理解できなかったけれど、多分、こんなことだったと思う。ハワードさんが奥さんの肩に手をまわし、何十年連れ添った奥さんに感謝すると言った。でも、この結婚生活の年数をどうやら実際より多く喋っちゃったみたい。それを奥さんが「違うでしょ」と言ったら、ハワードさんは、「未来にそうなるでしょう。これからまだまだずっと連れ添うでしょ」みたいなことを言って照れ笑いした。
 そして、演説が終了。ハワードさんは聴衆の中に入り、握手をしたり抱き合ったりして、退場していった。その間に、沈み行く夕日を思わせるBGMが流れていた。

 任期中、ハワードさんに重大な失策はなかったと思う。一つにオーストラリアの経済は現在とてもパワフルである。しかし実際は、金利の引き上げを抑えられず、公の病院の酷すぎる医療レベルの低下、教育問題、未解決の先住民問題などを残した。これらは、政治に詳しくない一般市民の、受け売りの情報だ。
 退場していく元首相には、11年半にも及ぶ歴代2位の長期政権をやり遂げた後の達成感というものが感じられた。「失敗による失脚ではなく、自然な世代交代である」。有終の美を見事に飾ったような感をうける。それらの印象が、ムーディーなBGMを背景とした、意図的に組まれた演出だったとしても。

 そして、時代は移り行く。ハワードさんの演説が終わって、11時少し過ぎ。場所はブリスベン。壇上に掲げられた「New leadership」という看板を背負って、新首相ラッドさんが、家族と共に壇上に上がった。ここで、まず女の目から反射的に感じてしまったことは、(ラッドさんの奥さん、派手やなっ!)。ハワードさんの奥さんは、どちらかといえば古風で大人しい感じ。家庭で夫と子供を陰ながら支えるお母さん。実際はどうだか知らないけれど。その彼女とは対象的に、ラッドさんの奥さんは、おっかちゃんである。こんなことを書いたら、ステレオタイプかな。「浪花の女」だと思う。姉さん女房に見える。しかし、穏やかな顔の夫の隣で、夫の演説に聞き入り、夫から感謝を口にされ抱き締められた時、彼女が見せた表情はカワイイと思った。この旦那にこの女房あり、のように。これも作戦かな。
 ラッドさんの演説の開口一番は、「OK!Guy!」。カメラが捕らえた聴衆の姿も、先ほどのハワードさんのそれとは、ちょっと違う。色々な民族が混じった多国籍、Tシャツを着ている。
 ラッドさんは演説で次のような言葉を連発していた。「Future」「Nation」「I want to」。
 巷に流れるラッドさんの写真は、とても優しい顔である。しかし、選挙戦を終え、夜も更けた演説時のラッドさんの顔には厳しさもあった。疲れもあったのだろうが、ハワードさんの演説になく、ラッドさんの演説にあった、未来への意気込みというものが、ラッドさんの顔に厳しさを加えたのだろう。
 総選挙の結果は全てが終わった後の安堵感をもたらすものではなく、ラッドさんにとっては、これからが全ての始まりなんだと思った。

 ちっぽけな一般市民の私であるけれど、これからオーストラリアがどう変わっていくのか、たいへん興味がある。ラッドさんと共に壇上に上がったファミリーの中には、明らかにアジア系の男性がいた。ラッドさんは親中派として知られる。これからアジアとの繋がりをますます深めていくに違いない。
 その中で、日本はオーストラリアにとって、どんな存在となるのか。オーストラリアに一時滞在している私は、オーストラリアに向かう日本人が、顕著に減少してきていると感じている。中国や韓国の存在感が高まる中、オーストラリアから撤退気味であるのが日本だと思う。実際に、オーストラリアに根をおろした日本人の方々は、今の状況をどう感じているだろう。一時滞在の身である私であるけれども、願わくば、日本がオーストラリアのベストパートナーの一つであってほしい。

 

2007年11月23日

彼らの彼らによる彼らのための組織

 当たり前のことを書くかもしれませんが、他人から一方的に与えられたものというのは、それほど嬉しいものではありませんね。お金をくれるというのなら喜んでおこぼれに預かりたいほど、今、お金が欲しい私ですけど。まあ、それは冗談として。自分自身の努力で獲得したことは、まさに自分自身の血や骨や肉となって、確かな存在感でもって生き続けますね。

 現代を生きるアボリジニの方々が、現状の問題を解決したいのであれば、それはアボリジニの方々自身の手で成し遂げるべきだと思っています。と同様に、現代の日本は余りにも多くの問題を抱えていますけど、それも日本人自身の手で解決しなくてはいけないんだと思います。 他人に解決してもらったら、何も面白くないですよ。

 自分達の問題を自分達自身の手で解決するから、自分達の歴史にすることができる。でも、自分達の手だけでは小さな力だから、そこに他者との協力が生まれ、大きな力となって歴史が動いていく。

 蛇足気味なことを書きますけれど、「アメリカが戦後日本に自由をもたらした」と簡単に断定するのは、あんまり愉快ではないですね。歴史に詳しくない私がこんなこというのもアレですが、江戸だとか明治大正昭和と自由を求める日本人の活動家はいて、そういう人達が壮絶に戦い続けてきた結果でもあるんです。私達日本人は、もっと自分達の祖先の血の滲むような努力の上に、自分達の生活が築かれていることをもっと感謝すべきだと思いますよ。日本人のご先祖様は立派だったということを、きちんと認識すべきだと思うんです。

 余計過ぎる前置きが長くなりました。 今日から再び、1967年の憲法改正にまつわる展示会、The Journeyを引き続きご紹介したいと思います。

 時は1958年、場所はアデレード。the Victorian Aborigines Advancement League(VAAL)等、8つの組織の代表者25人が、ある目的のために一堂に会しました。それはアボリジニへの差別を無くし、平等の権利を獲得するために、共に力を合わせること。
  アボリジニのアボリジニによるアボリジニのための組織を結成すること。

 会合は成功に終わり、Bert Groves(NSW)、Doug Nicholls(Vic)、Jeff Barnes(SA)を代表として、最初の全国的なアボリジニの組織、the Federal Council for Aboriginal Advancement(FCAA)が結成されました。


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 そして1962年、FCAAの年次協議会は、全国規模の請願活動を開始します。
 請願書は、賃金や雇用機会での差別や、先祖伝来の土地所有の権利を否定されていることに言及。FCAAはアボリジニの権利の平等、生活水準の向上、給料格差の是正、産業保護、無料の義務教育、アボリジニを所有者とする保留地の保持を求めました。

 一年に渡り、全ての州都や地方都市、田舎町まで及んで、路上にて署名活動が続けられた結果、10万人の署名を集めました。これは当初の目標25万人より少なかったとのことですが、平日仕事を終えた後や週末に、ボランティアの手によって、署名活動は支えられたのでした。

 こうしてFCAAは、Torres Strait Islanders(FCAATSI)共に、憲法改正への推進役としての役目を果たしていきました。

2007年11月18日

ブリスベンよもやま

 激安航空会社ジェットスターの就航により、オーストラリアの新しい玄関口として期待されるブリスベン。しかし、定番の玄関口ケアンズやシドニー等の他の都市と違って、通過地点としてのイメージが強く・・・。シティ内に見所が少ないのは否定しようがないのですが、それでも他の都市に移る前に、1泊ぐらいはしてみるのも宜しいかと思います。ブリスベンには、日本人をひきつける観光地として、もうちっと頑張って欲しい。その願いをこめて、今回は、私推薦の観光地をご紹介。

 と、その前に。ブリスベンのアボリジニ情報、博物館、図書館、植物園と来まして、お次は美術館と行きたいところでしたが、すみません、時間切れでじっくり観ることができませんでした。

 美術館もサウスバンクにありまして、州立図書館をはさんで二つあります。博物館に隣接したクイーンズランド美術館と、反対側には下の写真の現代美術館があります。現代美術館には、現代アボリジニ作家の作品が展示されています。テレビ画面を額縁にみたて、絵ではなく動く画像を作品としているものなど、奇抜な作品も多かったです。


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 他の州立美術館のアボリジニアートも観てきて思うことは、現代のアボリジニ作家達は、伝統的な形式に全くこだわらず、かなりすっ飛んだ発想で作品を作っている人も少なくないなあということです。最近、何が芸術なのか、よく分からなくなっている私には、良し悪しがいまいち判断できないのですが。「日本人が作ったから日本人アートで良い」というのが、明らかにナンセンスであるのと同様に、「アボリジニが作ったからアボリジニアートは良い」という考えもそうではないか?木の皮に単純で限定された色だけで描かれていた伝統的なアボリジニアートと違い、現在のアボリジニアートは千差万別。本当にスタイルはバラバラ。これぞ、アボリジニアートという共通の形式は全くなく、アボリジニアートかどうかは、単に作家がアボリジニかどうかで決まっているのが実情であると思います。アボリジニアートという枠組みが無くなる時代がもし来るとしたら、それはきっとオーストラリアにおけるアボリジニの存在が、今とは異なる、一段階ステージを上に上がった世界での出来事になると思います。「アボリジニ作家」ではなく、単純に「作家」として称される次世代の未来です。

 アボリジニアートについて、よく知りもしないくせに、ちょっと蛇足が過ぎましたか。話を初心に戻して、ブリスベンを訪れたら、必ず訪れて欲しい観光地をご紹介します。

 それはブリスベンからバスで30分、本数も多く交通の便の良い。ローンパイン・コアラサンクチュアリでございます。世界最大最古のコアラ園です。とある本によれば、130頭を超すコアラがいるそうです。そのコアラの多さは、実際に訪れてみて、ハンパではありませんでした。コアラばっかり!コアラばっかり!コアラばっかり!赤ちゃんもいっぱい。私はコアラが普通に好きなだけでしたが、ここでコアラに囲まれて、コアラを実際に触って、大好きになりました。ものすごく好きになりました。コアラの顔、もさっとした動作を思い出すだけで、思わず顔がにやけてしまうコアラバカになりました。ここの園のコアラはよく動いてくれたし、オスのコアラの鳴き声も聞けました。うおーうおーと、えらく野太い声で吠えるんですよ。

 また、園内に放し飼いされているカンガルーは触り放題です。コアラサンクチュアリという前に、コアラ大好き人間にとっては、まさに夢のコアラパラダイス。ここにいけば、もう他の動物園に行かなくてもいいんじゃないかなあとさえ思います。また、コアラ抱っこ写真には15ドルかかるのですが(貧乏旅行者泣かせ)、実は触るだけなら無料なんです。園内では一日中、鷹ショーやシープドッグショーなどのイベントがありますが、その一つ、コアラプレゼンテーションが終わった後、飼育員さんに抱っこされたコアラを触ることができます。コアラの毛はジュータンのようでした。このちょっとお得な情報、場末のここのブログを読んで下さってる皆様だけの胸の内に留めてくださいね(笑)。


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2007年11月15日

ブリスベン植物園

 ブリスベンには二つの大きな植物園があります。一つは、極度に蛇行するブリスベン川とシティを一望に見下ろせる展望台で有名なマウントクーサ。写真は観光地化している展望台からの景色で、左がシティで右にちょっこと見えるのが川ですね。
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  山の麓にある植物園は、かなり大きいです。短時間でまわれるコースもありますが、適当に歩いてしまった私は、山道に入りかけ危うく遭難しそうに(笑)。因みに、この植物園では日本に出会えます。1988年にブリスベンで催された国際博覧会の日本パビリオンから移築された日本庭園、そして盆栽ハウスがあるんです。係の方の話では、ブリスベンにはオージーの盆栽クラブが二つもあるそうですよ。盆栽はオージーに人気です。シティからマウントクーサ行きのバスは一時間に一本。しかもシティに帰るバスの最終時刻が夕方4時頃と、結構車がないと不便なところにあるのが難ですが、一日じっくり自然の中でのんびりしたい方には格好の場所でしょう。豆情報として、植物園のレストランのサンドイッチは安いのに、今まで私がオーストラリアで食べてきたサンドイッチの内、ベストのお味でした。
 もう一つは、シティの外れにある植物園。シティを平日ぐるっと回る無料バスに乗って行くことができます。歩いてもOK。クイーンズランド州で最も古い歴史のある植物園です。元々は、開拓者の畑でした。
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 この植物園で、私の大好物のフリーガイドツアーをお願いしました。ガイドさんと私の二人きりです。フリーガイドツアーって人気がないようなので、大抵、こんな風に一対一のVIP待遇になるんです。もっと皆さん、利用されたらいいですよ。ここのボランティアのガイドさんは、私の拙い英語にも優しく付き合って下さったし、植物の説明も詳しく、非常に内容の充実したガイドツアーでした。感謝してます。  次いでながら、ガイドツアーで教えてもらったアボリジニに関する植物を一つだけご紹介しましょう。
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 この木、Bunya Pineと言います。木の頂がドーム上になるのが特徴です。松の一種で、20cm以上にもなる非常に大きな松ぼっくりができます。だから、Bunya Pineの大きな木の下には、「松ぼっくりが危険なので頭上に注意して」なる立て看板があったりします。この松ぼっくりは、一つ3cmぐらいのBunya Nutsが寄せ集まって出来ています。そして、アボリジニはBunya Nutsを食べていました。食いしん坊の私が何処で食べられるか聞くと、ファーマーズマーケット(農作物の生産者による週末市場)でたまに売りにだされるとのことでした。幸いにも、Powerhouseのファーマーズマーケットに遭遇した私は、店の人にも聞いたりして探しましたが、発見できず。いつか食べたい〜、Bunya Nuts〜♪
 さて、このガイドツアーの中で、ガイドさんが一つの銅像を紹介してくれました。Brolgasと呼ばれるオーストラリアのコウノトリ二匹の間に、一人の男性。彼の名は、Jemmy Morrill。彼の同胞の白人と、彼を救ったアボリジニの間の架け橋となって活躍した人物です。
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 1846年、当時22歳だった船乗りJemmy Morrillを乗せた船は、グレートバリアリーフのアウターエッジで難破してしまいました。そのただ一人の生存者であった彼は、アボリジニに発見され、17年間もの間、アボリジニと共に暮らしました。後に、Bowen地区の白人居住地に戻った彼は、アボリジニと白人開拓者の仲立となり、双方の関係改善のために重要な役目を果たしました。  彼が見たアボリジニの社会とは、どんなものだったのでしょうか。そして、アボリジニの社会で暮らし続けた彼の胸中とは?日本でいえば、ジョン万次郎。異なる文化の間に生きた人間の生き様というのは興味を惹きつけられますね。

2007年11月14日

連絡先

アボリジニの情報やこのブログへのご意見ご感想をお寄せください。
連絡先: kaigara0au@gmail.com
宜しくお願いいたします。

クイーンズランド図書館

  先日ブリスベンにあるクイーンズランド図書館が好きと書きましたが、ブリスベンに数ヶ月以上滞在していたという日本人とバッパーで話した際のことです。私が目を輝かせて、「州立図書館は良かったでしょ?」と聞くと、答えは「別にぃ」。・・・・ちょっと切ない。 私のオススメとは万事こんな感じかもしれません。マイナーな好みでマイナーなブログを書き、マイナーな人生を送り続けています。マイナーリーグ万歳! と、どうでもいい前置きは横において、今日はクイーンズランド州立図書館内にある、Indigenous Knowledge Center 原住民情報センター「kuril dhagun」をご紹介します。場所は前回の博物館と同じサウスバンク。博物館と美術館を通り過ぎ、さらに奥に行きましょう。
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  外壁は打ちっ放しのコンクリート。しかし、モスグリーン色に彩色されたそれには、冷たさがなく、逆に、林の木立に入ったような落ち着きと爽やかさを感じさせます。


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「kurik dhagon」は地上階にあります。資料によりますと、「kuril dhagun」とは、現地のアボリジニの言葉で「kurilの場所」。kurilとは、ブリスベン川に面した図書館の側でよく見られる、土着の水生ネズミの名前だそうです。伝統的なものから現代的なものでまで、アボリジニとトレス諸島の人々の知識を学ぼうというのが、このセンターのコンセプトの一つ。お洒落なセンター内には、現地の人々の話が聞けるタッチパネル式のテレビが設置されています。


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  また、ローカルのアボリジニやトレス諸島の人々と一緒にキャンプファイヤをしながらお喋りをする「A night by the fire」や映画の上映会などの各種イベントを催しています。「A night by the fire」は、月一開催で、私は参加できませんでしたが、次回は11月20日だそうです。興味のある方はどうぞ。

  そして、今回スポットをあてるのが、アボリジニの恋物語。館内の小ブースで繰り返し上映されている、約5分の短いアニメーションです。毎度ながら、私は英語が得意ではないので、英語のナレーションを完全には聞き取れませんでしたが、分かった範囲内でご紹介させて頂きます。

 お話の名前は「Nanji&Nguandi」。ブリスベン近くの部族に伝わる、悲しい恋物語です。

 NanjiとNguandiは幼馴染。二人は、小さい頃から一緒に海に貝を採りに行ったりと、大の仲良しでした。やがて大人になった二人の間に愛が芽生えます。けれど、彼女には部族が決めた婚約者のおじさんがいました。二人の仲に気付いた家族は、彼女に婚約者との結婚を強いります。彼女の意思に反して、執り行われた部族ぐるみの華々しい祭り(結婚式?)の最中、「ちょっと待ったあ!」彼は花嫁の手を引き、共に祭りから逃げ出します。海に向かった二人は泳いで逃げます。それに怒った仲間の部族は、部族の守護神ともいえる大蛇を呼び出しました。大蛇は炎を吹き、二人を深海へと追い詰めていきます。そこに、我らがRainbow Serpent 虹の大蛇が登場。虹の大蛇が歌を歌うと、二人の体は色鮮やかな珊瑚のように変わっていくではありませんか。二人の姿を見失った大蛇は怒りに駆られ、カヌーで二人を追いかけていた婚約者のおじさんを逆に海に沈めてしまいます。海の底にきた二人に、虹の大蛇は尋ねました。「もし、私と此処にいるというのなら、お前達はずっと一緒にいることができるだろう」二人はそれを受け入れ、青い海の底の珊瑚となって、今も共にいるのです。


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 リスニングを間違っていたら、すいません。

 ところで、オーストラリア大陸最東端の岬であるバイロンベイを訪れた際、似たような物語を見かけました。バイロンベイの岬から、それなりに大きい小島が見えます。その小島は、アボリジニの伝承によると、その地方を創造した神様(spirit)の休憩場所という話の他に、海に逃げて溺れた恋人達が変化した島との話もあるそうです。仲間の部族に結婚を反対された恋人達が海に逃げていった、悲恋物語。 また以前、シドニーの海洋博物館だったと思うのですが、同部族内ではなく、異なる部族間で結婚をすることが決められていたとの説明を見た覚えがあります。

 隣近所の付き合いが希薄になってきた日本の現代社会。それを可能にしたのは、周りと協力しなくても生きていけるからであって、隣近所の助けが必要不可欠な田んぼを耕していた時代には、色々と村の掟がありました。 アボリジニが生きていた世界は、とても自然が厳しいところ。そこでは、個人主義だなんて悠長なことはいってられず、周りの人間と助け合わなければ生きていけません。個人よりも団体の意思というのが尊重されます。 彼らがドリームと呼ぶ神話伝承において、万物を想像した祖先の霊達は、Law 、彼らが守るべき法や掟をも定めたといいます。「ドリームが法を定めた」と強調しているようであることが私には不思議だったのですが、自然の中にいて自由人と思える彼らの方こそ、助け合いの集団を維持するために、人間社会の厳しい決まり事が必要だった。そのように今は考えています。

 恋人達の悲しい物語が残されているように、伝統的なアボリジニの結婚というのは、部族内の取り決めというか掟とかに縛られて、それほど自由ではなかったのかもしれませんね。

2007年11月11日

クイーンズランド博物館

 オーストラリアの都市は水辺の風景。シドニー湾のシドニーをはじめ、パースにはスワン川、メルボルンにヤラ川、アデレードにトレンス川、そしてブリスベンにはブリスベン川。そのまんまの川の名前だというツッコミはさておき。ブリスベンのシティ、メイン道路のクイーン・ストリートから続く、ヴィクトリア橋でブリスベン川を渡ると、そこは図書館や美術館などが集結する文化芸術の中心地、サウスバンクであります。下の写真は、左がシティで右がサウスバンク。
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 今回ご紹介するクイーンズランド博物館は、その一角、橋を渡って直ぐのところです。子供が楽しく科学を学べる科学館のコーナーは別にして、入場料は無料。Museum Zooと称して動物の剥製があったり、飛行機や車があったりします。
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 博物館を上にずっと上がって、一番奥がアボリジニのコーナーです。このフロアは写真撮影が禁止。英語の解説文を直ぐに理解できない私には非常に辛いのですが、おそらく肖像権等の関係から、写真撮影が禁止されているようです。
 「Dandiiri Maiwar」と名付けられた、ここアボリジニ・トレス諸島文化センターは、それほど大きくはありませんが、コンパクトに情報がまとめられている印象をうけました。時間がないけど、ちょっとアボリジニについて知りたいよという方には、適当な小ささではないでしょうか。建物自体が新しいようなので、造りも綺麗です。

 植物の利用方法等の伝統的文化の解説や、華々しく飾られている現代社会で活躍しているアボリジニの著名人の写真など。特別展示では1967年の国民投票を模した投票所が設けられていました。3つほどの問に対してYESかNOを答えるのですが、その内の一つを。メモを取るのを忘れてうろ覚えで申し訳ないですが、「現在、アボリジニは平等の権利を享受していると思いますか?」には、(ここを訪れたオーストラリア人はどのような票をいれたのだろう?)、と考えさせられました。
 次に、数ある展示解説の中から足を止め、辞書をひきひき読解を試みたコーナーに触れたいと思います。
 まず、クイーンズランド州のアボリジニにとっての冬の時代について。1897年の特別法
により約100年もの間、アボリジニの人々がどんな境遇にあったのか。

 法の下、アボリジニの人々はミッションに強制移住させられ、子供は親元から引き離された。それは家族を崩壊させ、文化を断絶させるものであった。ファームでの労働による賃金は、全てを現金として受け取れず、クイーンズランド州の銀行口座に自動的に振り込まれた。しかし、口座からの引き出しには許可が必要で、しばしば政府によって承諾なしに引き出され使用されてしまった。賃金からとられる税金は、アボリジニの福利厚生基金のためのものだったが、実際は白人開拓者やミッションの維持費のために使われることがあった。アボリジニの結婚は制限をうけ、1960年代までChief Protector(保護官)の承認が必要だった。女性は12歳で奉公にだされ、白人家庭の家事に従事していた。

 労働をしたにも関わらず、不当に奪われた賃金について、その後、裁判をおこしたアボリジニの人々もいます。そのような酷い処遇を、アボリジニの人々が長い間受けていた事実があります。そして、それを包み隠さず(或る部分は未だ秘密にされているかもしれないけれど)、展示物の形で伝えていく文化をオーストラリアは持っているのだとも思います。

 最後に、「Aboriginal English」について。このブログの一番初めで、「私はアボリジニ英語を喋っている」と笑っていたアボリジニのおばさんの話を書きましたが、私はアボリジニ英語をこのおばさんの造語だと思っていました。けれど、アボリジニ英語はオーストラリア社会に一つの言葉として、別個の言語として認められていることを、今回、この博物館で初めて知りました。その言葉の定義としては、「英語の中に、アボリジニ特有の言葉やアクセント、文法や意味が混ざったもの」。英語とアボリジニ語がゴッチャになってるんですね。解説で紹介されていたアボリジニ英語の例を幾つか挙げておきます。
mob=group/community/family/region
murii=Aboriginal person(Queens land)
migloo=white person
Which way?=How are you?/What's going on?

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2007年11月10日

バッパー旅の展示会

 つい先日、シドニーに戻ってきたのですが、どんよりした曇り空に時々雨、冬を思わせる寒さに驚いています。シドニーはもう暑い初夏のはずなのに、シドニーを離れた9月と、ほぼ変わらない陽気。日本人の友達に聞いたところ、ここ1週間ばかり、こんな調子だそうです。異常気象ですね。おかげで、卒業できると思っていた冬服を未だ未だ手放せません。半袖ではブルブルする日があります。
 この天候不順。バッパーで出会った韓国人の女の子は、ブルーマウンテンに折角行ったのに、全く何も見れなかったと嘆いていました。ブルーマウンテンで雨に見舞われると、靄(雲?)が立ち込めて、かの有名なスリーシスターズを望む展望台からの景色が、完全に白一色になってしまうのです。雄大なユーカリの森を見渡すどころの騒ぎではありません。何も見えません。ブルーマウンテンを気に入っている私も、1週間弱滞在した際の数日間、この雨を経験したのですが、街中でさえも、靄で数メートル先が見えないほど、ものすごい状態です。ブルーマウンテンに行かれる方は、どうぞ天気にご注意を。ただ、山の天気は変わり易いように、午前中は雨でも、昼からは太陽が覗いたりもするので、幸運を天に祈ってくださいね。


 ところで今回は、アボリジニとは関係無いのですが、タイムリーなシドニーの話題をお届けします。11月9日から明日11日まで、ダーリン・ハーバーのエキシビションセンターで、Adventure travel&backpackers expo の展示会が開催されています。何故、こんな話題をするかというと、個人的に是が非でも見たい、興味深い展示会でして。パースinして東へ向かい、シドニーから北上していった私の宿泊地は、ほぼ常にバックパッカーズホステルでありました。滞在したその数は50軒近く。これは結構な数だと思うのですが、一箇所に留まらず様々なバッパーを渡り歩いて、本人は色々と研究しているつもりです(笑)。それ絡みの情報を仕入れるのは、私にとって極めて重要なのであります。


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    さて、展示会の入り口はこんな感じです。会社員時代、仕事の関係で展示会にしばしば足を伸ばしましたが、海外の展示会は初めて。でも、所狭しと並ぶブースを見ると、どこか懐かしい感じがします。ちなみに、入場料は7ドル。しかししかし、バッパーに置かれている情報誌を漁るのが常の私は、執念でタダ券をゲットしてから行きましたよ。TNT magazinenなどにタダ券が入っていました。

 この展示会は、バッパーを利用して旅をする10代から30代まで(←年齢はおよそです)のアドベンチャーな世界旅行を好む人々を対象としているようです。世界各国、オーストラリア各地の観光紹介ブースが並んでいます。ヨーロッパからアメリカ、東南アジア、太平洋に浮かぶオーストラリア近くの南の島トンガ王国やフィジー、そしてインドや韓国などなど。日本の観光ブースが無かったことが非常に残念でした。YOKOSO!JAPANで日本の観光誘致をしている皆様には、バッパーを利用して旅する「通の」世界旅行者へのアピールをもっと頑張って頂きたい。他には、バックパッカーズホステルグループの代表格であるYHAやVIP。バッパーの足であるGreyhound Australia バスやThe Ghan & Indian Pacific の長距離電車。STA Travel等の旅行会社やアドベンチャーツアー催行会社、hostelworld などなど。オーストラリアをラウンドしている人間にとっては、馴染みの会社の数々ですね。

  面白いのが、お客さんが撮った写真をポストカードにしてくれる会社が幾つか。バッパーに泊まっていると、白人の旅行者が10枚近くポストカードを一気に買い込んで、せっせと手紙を書いているのをちょくちょく見かけます。そういう文化があるんですね。各ブースには、観光紹介パンフレットなどが置かれています。割引クーポンも置かれていましたが、その数が思ったより少なかったのが、ちょっとがっかり。ノーザンテリトリーのブースでは、なんと生きてる蛇と赤ちゃんワニを触らせてくれました。


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   また、展示会といえば、それに付随して、プレゼンテーションがあるのが常套であります。この展示会ではルームを二つ用意して、30分間の旅紹介のプレゼンが切れ間なく行われていました。例えば、「Highlight of OZ in 30 minutes」は、わずか30分の間に、オーストラリア全土の観光地を一挙に紹介するという、聴き応えのあるもの。シドニーからぐるっと半時計周りに、ウルルもカバーして、写真を見ながらのプレゼンを聞き終わると、頭の中が満腹になりました。「Woman Travel the World」では、女性のバックパッカー旅行者のための旅のヒントを。日本女性より強いと思うオージー女性にも、そのようなプレゼンがありなんですね。「Living&Working in London」では、ビザの説明もあり、物価の説明もありと、オーストラリア人へのイギリスへの関心の高さを感じたりしました。そして、奥のステージでは、ハワイアンのダンスショー。なかなかバラエティに富んだ楽しめる展示会でした。


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    しかし、展示会の一番の楽しみといえば、何といっても御土産でしょう!日本の展示会に行った際、各ブースで配られる無料の御土産にほくほくしたのを思い出します(仕事もちゃんとしていましたよ)。

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  そして、今回の戦利品がこちら!バックやボールペンのよくあるものの他に、写真では写っていませんがフルーツのデザート、加えて無料のTシャツまで頂きました。貧乏旅には有り難いですね。やっぱり展示会は楽しいです。 シドニーにいる貧乏旅の同士の皆様。もし、これを読んでいたら、もう11日までですけど、遊びにいってみてくださいね。

 日本の皆様。シドニーは現在、サマータイムを実施中です。元々の日本との時差1時間プラスもう1時間時計が早く進んでいます。日本で夜6時の時に、シドニーは夜の8時。空を見上げると、未だ明るい。夜はゆっくり休みたいのに、明るい夜空に、何だか落ち着かない私です。