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      <title>アボリジニの貝殻拾い</title>
      <link>http://kaigara.25today.com/</link>
      <description>少しずつ、アボリジニについて知る旅。
オーストラリアの旅先で出会ったアボリジニの情報をお届けします。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 03 Jan 2008 21:19:42 +1000</lastBuildDate>
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            <item>
         <title>シドニー湾の新年花火！</title>
         <description><![CDATA[　<SPAN style="line-height : 130%;"><P>明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。<BR>
早速ですが、オーストラリアにお正月はございません！大晦日も働いて、１月２日から普通に仕事が始まりました。日本の情緒ある年末年始が恋しくてたまりません。大掃除をして、去り行く年の一年間をしみじみと振り返る大晦日。寒さに身も心も引き締めて、新年の希望を心清らかに願う初詣。そもそも、私はＮＨＫの「ゆく年くる年」をビデオ録画をしてでも見たいんです。このＴＶ番組が大好きなんです。だからオーストラリアの年末年始は、私にはちょっぴり切なかったですね。しかし、少しでもいいから、この国で新年を迎える「お得さ」を感じたいではありませんか。年末年始にシドニーにいるという利点を生かし！だから行ってきました、シドニー湾のニューイヤー花火。日本人が、「混むのも承知、ホテル代が高くてもいい」とばかりに、わざわざ、このためにお正月にシドニーにやって来るという花火に（日本のお正月の方がよっぽどステキなのに…）。<BR>
<BR>
　まず、夜の8時からダーリング・ハーバーでやった家族向けという花火を観ました。そんなに混んではいませんでした。しかも、花火が打ちあがるポイントが近く、臨場感がなかなかあって面白かったです。<BR>
　それを観てから、大大大混雑で名高い、サーキュラー・キーに向かいました。無謀なる挑戦です。サーキュラー・キーの港は、右手にオペラハウス、左手にハーバーブリッジが観える、絶好の花火観戦ポイントの一つです。私が初めにおおっと感動してしまったのは、シドニーの背骨といえるメイン道路、ジョージ・ストリートが、歩行者天国になっていたこと。<BR>
いつも車が行きかいする道路を大勢の人がぞろぞろとサーキュラー・キーを目指して歩くのは圧巻でした。この人ごみは新年の花火が終わってからピークに達するわけですが、それを見て感じたことは、外国人ばっかりだなあということ。人が多いからと地元のオージーは実際に行かずにＴＶで観戦すると聞いていましたが、その通りだなあと実感しました。そして、人ごみは結構ガラがワルイです。友達と行ったから安心でしたが、一人ではコワカッタでしょうね。ぎゃーぎゃー騒ぐわ、ぴーぴーホイッスル笛を意味も無く吹きまくる輩だわ。日本の初詣も人ごみがすごいですが、みんな新年を迎えて、どこか神妙で爽やかな顔つきをしていませんか。それに比べて、とにかくひたすらお祭り騒ぎで、これが夏のお正月というものかもしれません。夏祭りのノリなのでしょう。<BR>
<BR>
　１０時頃についたサーキュラー・キーは、ものすごい人だかりでした。押しつ押されつ、人にもまれながら、やっとこさ少しづつ歩ける状態です。足の踏み場もないほど、びっしりと人が場所とりに座っています。けれど、まだ座れるところがわずかに残されていました。<BR>
そこで、花火をひたすら待つことに。すっかり酔っ払い、イイ気持ちで大声で合唱をはじめた、白人のグループに囲まれて小さくなりながら。ちなみに、こう混雑する場所で、結構気になるのがトイレなのですが、サーキュラー・キーの駅のいつものトイレにはすごい行列ができていました。しかし、そこから少し離れたところに、立派な仮設トイレが幾つも設置されていました。そっちは空いていたうえ、掃除も頻繁に行っていたようで、仮設トイレと思えないほどキレイ。そのシドニー市（？）の姿勢には、素直に感心しました。<BR>
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2008/01/0101.JPG"><img alt="0101.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2008/01/0101-thumb.JPG" width="200" height="201" /></a>
<BR>
　辺りが少し静かになりました。ハーバーブリッジに輝いていた、タイムカウントの砂時計の絵に、みんなの視線が注がれます。天に掲げられた幾つものカメラのレンズも、その時を待ちます。花火が打ちあがりました。みんなの歓声が花火の轟音と一緒になります。オペラハウスから、ハーバーブリッジから、そして背後のビルディングの屋上から、次から次へと花火が打ちあがります。夜空が一気に明るくなります。私のいたところからは残念ながら、オペラハウスは見れませんでしたが、ハーバーブリッジはなんとか。ハーバーブリッジの花火ときたら、上に向かって出て、横にも向かって出て、なんだこれは？！、三次元花火の様相。とにかく、火の玉が打ちあがる、打ちあがる、打ちあがる。この迫力はやっぱり、スゴイといわれるだけあります。でも、正直にいえば、私は日本の花火の方が好き。今回、初めて、オーストラリアの花火をまともに観ましたが、オーストラリアと日本の花火で明らかに違うところに気付きました。それは、大輪の花が開いた時の色彩の細かさと花が散り行く時の名残惜しさ。日本の花火はとても繊細で、花がチラチラと暗闇に消えていく時間が長い。儚さが美しい。一方、オーストラリアの花火ときたら、大味で、とにかく、いっぱい打ち上げちゃえって感じ。色もキャンディみたいなカラフルさで、おもちゃ箱をめいっぱいひっくり返しちゃったようだ。そんなことを言ってみましたが、オーストラリアの花火を私が楽しんだのも事実。大きな花火が続けさまに上がった時など、周りの外国人と一緒になって、すげーすげーと熱い歓声を送りました。一人寂しい異国でのお正月も、このシドニー湾の新年花火のおかげで、少しは色がついたというものです。<BR>
　<BR>
　花火が終わって、みんなが帰り始めました。その時、オペラハウスの方角から、一発の爆音。振り返れば、オペラハウスの上空に花火が一つ開いてました。多分、打ち残った花火でしょう。花火大会の時には見れなかった、照明に照らされたオペラハウスが威風堂々と見えました。<BR></P>
</SPAN>]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2008/01/post_39.html</link>
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         <category>now</category>
         <pubDate>Thu, 03 Jan 2008 21:19:42 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アーカイブ用ＨＰ</title>
         <description><![CDATA[<P>このブログのアーカイブ用に、ホームページを開設しました。<BR>
作成したばかりなので、ひとまずは記事の移動が中心です。<BR>
その後は、ホームページだからこそ出来るようなことをやっていきたいと思います。<BR>
どうぞ、遊びにきてみてください。<BR>
<A href="http://kaigara2au.web.fc2.com/index.htm">http://kaigara2au.web.fc2.com/index.htm</A></P>]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/12/post_38.html</link>
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         <category>now</category>
         <pubDate>Mon, 17 Dec 2007 01:21:51 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>キャンベラ国会議事堂</title>
         <description><![CDATA[　オーストラリアの首都、キャンベラに行ってきました。総選挙に中てられた、にわか政治ふぁんで、国会議事堂を見学です。訪れた日は、総選挙の終わった１１月末某日。<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/repre.JPG">
<img height="150" alt="repre.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/repre-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
&nbsp; オーストラリアの国会は二院制で、上院と下院からなるそうです。日本の参議院にあたる上院はSenate、衆議院にあたる下院はRepresentatives。上院下院の日本語訳は分かりにくいですね。議員数は上院で７６名、下院はそのほぼ２倍。下院で過半数をとった政党の党首が首相になるシステムです。<br />
　下院の入り口前では、議員名簿が自由にもらえるようになっています。これを見て思ったことが、ノーザンテリトリーの議員数が２名で、思ったより少ない。ちなみに、タスマニアは５名。ノーザンテリトリーは面積の割りに人数が少ないので、妥当な振り分けなのかもしれませんが、この議席数で、ノーザンテリトリーに多く住むアボリジニの声を反映できるのかなあと心配になります。<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/woman.JPG">
<img height="150" alt="woman.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/woman-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　自分は女なので、女性の議員数というのも気になります。それが一目にわかる便利な表がありました。上の写真です。流石、オーストラリア。女性も多いです。オーストラリアの女性はタフで社会進出が進んでいるのは、街を歩いていても明らかです。これはオーストラリアの長所の一つですね。<br />
<br />
　さらに、国会議事堂の中には、議員の写真も飾られています。新しい写真と古い写真がごちゃ混ぜになっています。おそらく、古くて色あせている写真は、長年議員を勤めている証、彼らの誇りに違いありません。　先月の総選挙の主人公、二人の写真を発見しました。こんなに重要な二人なのに、二人ともガラス戸の境界にかかっています。この辺が、オーストラリア人の適当さ、いやいや、大らかさですね。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/h.JPG">
<img height="150" alt="h.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/h-thumb.JPG" width="200" />
<br />
</a><a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/k.JPG">
<img height="150" alt="k.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/12/k-thumb.JPG" width="200" />
</a>]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/12/post_36.html</link>
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         <category>キャンベラ</category>
         <pubDate>Fri, 07 Dec 2007 15:36:40 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さよなら、ハワードさん</title>
         <description><![CDATA[<p>
&nbsp;&nbsp; ２００７年１１月２４日。総選挙の勝敗が決した後の、午後１０時半を過ぎた頃だった。<br />
&nbsp;テレビを再びつけると、ちょうどライヴ映像。ハワードさんが大勢の人に迎えられて、壇上にあがるところだった。そして、英語がよく分からない私が、ハワードさんの演説を聴くのではなく眺め始めると、私は正直慌ててしまった。<br />
（今回の総選挙で勝ったのはLabor 労働党であって、その党首はケビン・ラッドさんだよな？！ハワードさんじゃないよな？！）<br />
　もし、私が勘違いをしていて、労働党の党首がハワードさんだったとしたら、そのすぐ前に、日本の家族に「野党が勝ったよ！首相が新しい人に変るよ！」と、少々興奮気味に電話で話したのが、カッコ悪い。　<br />
&nbsp; けれど、総選挙に負けたはずの壇上のハワードさんに、負けた後の惨めさのようなものはない。堂々とスピーチをしていて、日本なら「私の不徳が致す所で、」「ご支持の皆様方に多大なるご迷惑をおかけして、」、ゴメンナサイと頭を下げて、寂しい背中を見せつつ早々と立ち去るところだと思う。<br />
　しかし、よくよく演説を観察していると、やっぱり、ハワードさんは負けていたのだった。所々、分からない英語が混じっていたけれど、ようやく私にもそれが確信できた。<br />
<br />
　２００７年１１月２４日。オーストラリアの歴史が変わった日に遭遇できたことを、私は光栄に思う。異国の地の選挙開票の速報特番を視聴できるなんて、滅多に無いことだ。<br />
&nbsp; 開票結果の画面は、日本と同じようなものが、英語で書かれているものである。次々に結果がでる選挙結果に、数人のコメンテーターがやんややんやと解説をするというのも、日本と同じスタイル。今回の選挙のポイントである野党と与党が占める国会座席のパーセントがグラフで表されるのも同様の感じ。<br />
&nbsp; メモするのを忘れていたのが本当に勿体無かったのだけれど、私の記憶を手繰り寄せれば、Prospect (開票予想)の後に、「Too closed to call」（接戦で結果は未だ分かりません）、「Labor to Win」（労働党の勝ち）だとか、こんな語句とお会いできるのも、こんな時ぐらいだろう。因みに余談ではあるが、選挙番組の中で、落選した候補者の写真にバッテンが書かれシュレッダーにかけられる、という演出をみたけれど、ちょっとそれはツメタイんじゃないの、と思ったりもした。<br />
　総選挙の結果は意外と早く着いたように、私は思う。夜の８時ぐらいには「Lavor Win」の文字が幾つかのチャンネルで踊っていたはずだ。ドラマ的には、最後まで接戦のまま持ち込むのが面白いけれど、Lavorの勝利ということで、早々と落ち着いた印象が私にはある。<br />
<br />
　さて、ハワードさんの演説で印象的だったことを幾つか書く。ハワードさんの演説に惨めさはなく、堂々としていたのは前述の通り。けれど、その堂々とした表情の中に、全てが終わった後の寂しさのようなものがあった。後で書く、ラッドさんの演説の時に感じた、未来にかける意気込みというのが感じられなかった。それで、ハワードさんは確かに負けたのだと、私は分かったのである。<br />
　演説の中身の詳細をお伝えするのは、私の英語力では到底不可能であるので、英語と政治に不得意な、異国の一般市民の目からみた印象を書く。<br />
&nbsp;ニュースではきっと触れられないだろうことを書くと、ハワードさんの演説の最中に、それに割り込もうとする聴衆がいた。それらに対して、ハワードさんが、「Please！」もしくは、多分こっちの方が正解だと思うけれど、「Freeze!」を何度も連発して、それらを制止して話を続けていたのが印象的である。このような場で野次が飛ぶというのも、私にはピンとこないし、日本なら警備員がすぐに飛んできて外に連れ出すだろうから、それが野次だったのか分からないけれど。自分の英語の理解力の低さを恨めしく思う。<br />
　日本と全く異なる点をあげれば、家族を引き連れて演説をしていたことだ。奥さん、子供、その子供の配偶者など。それはラッドさんの演説時も同じ。ファミリー。オーストラリアにはそれにこだわる文化があるとは聞いていたが、それを改めて実感した。さらに、ラッドさんにしろ、演説の最後の方で、家族に御礼を述べるコーナーがあった。そこで、ちょっとした面白いことがあった。何を喋ったのか完全には理解できなかったけれど、多分、こんなことだったと思う。ハワードさんが奥さんの肩に手をまわし、何十年連れ添った奥さんに感謝すると言った。でも、この結婚生活の年数をどうやら実際より多く喋っちゃったみたい。それを奥さんが「違うでしょ」と言ったら、ハワードさんは、「未来にそうなるでしょう。これからまだまだずっと連れ添うでしょ」みたいなことを言って照れ笑いした。<br />
　そして、演説が終了。ハワードさんは聴衆の中に入り、握手をしたり抱き合ったりして、退場していった。その間に、沈み行く夕日を思わせるBGMが流れていた。<br />
<br />
　任期中、ハワードさんに重大な失策はなかったと思う。一つにオーストラリアの経済は現在とてもパワフルである。しかし実際は、金利の引き上げを抑えられず、公の病院の酷すぎる医療レベルの低下、教育問題、未解決の先住民問題などを残した。これらは、政治に詳しくない一般市民の、受け売りの情報だ。<br />
　退場していく元首相には、１１年半にも及ぶ歴代２位の長期政権をやり遂げた後の達成感というものが感じられた。「失敗による失脚ではなく、自然な世代交代である」。有終の美を見事に飾ったような感をうける。それらの印象が、ムーディーなBGMを背景とした、意図的に組まれた演出だったとしても。<br />
<br />
　そして、時代は移り行く。ハワードさんの演説が終わって、１１時少し過ぎ。場所はブリスベン。壇上に掲げられた「New leadership」という看板を背負って、新首相ラッドさんが、家族と共に壇上に上がった。ここで、まず女の目から反射的に感じてしまったことは、（ラッドさんの奥さん、派手やなっ！）。ハワードさんの奥さんは、どちらかといえば古風で大人しい感じ。家庭で夫と子供を陰ながら支えるお母さん。実際はどうだか知らないけれど。その彼女とは対象的に、ラッドさんの奥さんは、おっかちゃんである。こんなことを書いたら、ステレオタイプかな。「浪花の女」だと思う。姉さん女房に見える。しかし、穏やかな顔の夫の隣で、夫の演説に聞き入り、夫から感謝を口にされ抱き締められた時、彼女が見せた表情はカワイイと思った。この旦那にこの女房あり、のように。これも作戦かな。<br />
　ラッドさんの演説の開口一番は、「OK！Guy！」。カメラが捕らえた聴衆の姿も、先ほどのハワードさんのそれとは、ちょっと違う。色々な民族が混じった多国籍、Tシャツを着ている。<br />
　ラッドさんは演説で次のような言葉を連発していた。「Future」「Nation」「I want to」。<br />
　巷に流れるラッドさんの写真は、とても優しい顔である。しかし、選挙戦を終え、夜も更けた演説時のラッドさんの顔には厳しさもあった。疲れもあったのだろうが、ハワードさんの演説になく、ラッドさんの演説にあった、未来への意気込みというものが、ラッドさんの顔に厳しさを加えたのだろう。<br />
　総選挙の結果は全てが終わった後の安堵感をもたらすものではなく、ラッドさんにとっては、これからが全ての始まりなんだと思った。<br />
<br />
　ちっぽけな一般市民の私であるけれど、これからオーストラリアがどう変わっていくのか、たいへん興味がある。ラッドさんと共に壇上に上がったファミリーの中には、明らかにアジア系の男性がいた。ラッドさんは親中派として知られる。これからアジアとの繋がりをますます深めていくに違いない。<br />
　その中で、日本はオーストラリアにとって、どんな存在となるのか。オーストラリアに一時滞在している私は、オーストラリアに向かう日本人が、顕著に減少してきていると感じている。中国や韓国の存在感が高まる中、オーストラリアから撤退気味であるのが日本だと思う。実際に、オーストラリアに根をおろした日本人の方々は、今の状況をどう感じているだろう。一時滞在の身である私であるけれども、願わくば、日本がオーストラリアのベストパートナーの一つであってほしい。
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_37.html</link>
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         <category>now</category>
         <pubDate>Tue, 27 Nov 2007 17:02:17 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>彼らの彼らによる彼らのための組織</title>
         <description><![CDATA[　当たり前のことを書くかもしれませんが、他人から一方的に与えられたものというのは、それほど嬉しいものではありませんね。お金をくれるというのなら喜んでおこぼれに預かりたいほど、今、お金が欲しい私ですけど。まあ、それは冗談として。自分自身の努力で獲得したことは、まさに自分自身の血や骨や肉となって、確かな存在感でもって生き続けますね。<br />
　現代を生きるアボリジニの方々が、現状の問題を解決したいのであれば、それはアボリジニの方々自身の手で成し遂げるべきだと思っています。と同様に、現代の日本は余りにも多くの問題を抱えていますけど、それも日本人自身の手で解決しなくてはいけないんだと思います。　他人に解決してもらったら、何も面白くないですよ。<br />
　自分達の問題を自分達自身の手で解決するから、自分達の歴史にすることができる。でも、自分達の手だけでは小さな力だから、そこに他者との協力が生まれ、大きな力となって歴史が動いていく。<br />
　蛇足気味なことを書きますけれど、「アメリカが戦後日本に自由をもたらした」と簡単に断定するのは、あんまり愉快ではないですね。歴史に詳しくない私がこんなこというのもアレですが、江戸だとか明治大正昭和と自由を求める日本人の活動家はいて、そういう人達が壮絶に戦い続けてきた結果でもあるんです。私達日本人は、もっと自分達の祖先の血の滲むような努力の上に、自分達の生活が築かれていることをもっと感謝すべきだと思いますよ。日本人のご先祖様は立派だったということを、きちんと認識すべきだと思うんです。<br />
　余計過ぎる前置きが長くなりました。　今日から再び、１９６７年の憲法改正にまつわる展示会、The Journeyを引き続きご紹介したいと思います。<br />
　時は１９５８年、場所はアデレード。the Victorian Aborigines Advancement League（VAAL）等、８つの組織の代表者２５人が、ある目的のために一堂に会しました。それはアボリジニへの差別を無くし、平等の権利を獲得するために、共に力を合わせること。
&nbsp; アボリジニのアボリジニによるアボリジニのための組織を結成すること。<br />
　会合は成功に終わり、Bert Groves（NSW）、Doug Nicholls（Vic）、Jeff Barnes（SA）を代表として、最初の全国的なアボリジニの組織、the Federal Council for Aboriginal Advancement（FCAA）が結成されました。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1123.JPG">
<img height="201" alt="1123.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1123-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　そして１９６２年、FCAAの年次協議会は、全国規模の請願活動を開始します。
　請願書は、賃金や雇用機会での差別や、先祖伝来の土地所有の権利を否定されていることに言及。FCAAはアボリジニの権利の平等、生活水準の向上、給料格差の是正、産業保護、無料の義務教育、アボリジニを所有者とする保留地の保持を求めました。<br />
　一年に渡り、全ての州都や地方都市、田舎町まで及んで、路上にて署名活動が続けられた結果、１０万人の署名を集めました。これは当初の目標２５万人より少なかったとのことですが、平日仕事を終えた後や週末に、ボランティアの手によって、署名活動は支えられたのでした。<br />
　こうしてFCAAは、Torres Strait Islanders(FCAATSI)共に、憲法改正への推進役としての役目を果たしていきました。 ]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_35.html</link>
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         <category>The Journey</category>
         <pubDate>Fri, 23 Nov 2007 11:53:16 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ブリスベンよもやま</title>
         <description><![CDATA[　激安航空会社ジェットスターの就航により、オーストラリアの新しい玄関口として期待されるブリスベン。しかし、定番の玄関口ケアンズやシドニー等の他の都市と違って、通過地点としてのイメージが強く・・・。シティ内に見所が少ないのは否定しようがないのですが、それでも他の都市に移る前に、１泊ぐらいはしてみるのも宜しいかと思います。ブリスベンには、日本人をひきつける観光地として、もうちっと頑張って欲しい。その願いをこめて、今回は、私推薦の観光地をご紹介。<br />
　と、その前に。ブリスベンのアボリジニ情報、博物館、図書館、植物園と来まして、お次は美術館と行きたいところでしたが、すみません、時間切れでじっくり観ることができませんでした。<br />
　美術館もサウスバンクにありまして、州立図書館をはさんで二つあります。博物館に隣接したクイーンズランド美術館と、反対側には下の写真の現代美術館があります。現代美術館には、現代アボリジニ作家の作品が展示されています。テレビ画面を額縁にみたて、絵ではなく動く画像を作品としているものなど、奇抜な作品も多かったです。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1118_m.JPG">
<img height="150" alt="1118_m.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1118_m-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　他の州立美術館のアボリジニアートも観てきて思うことは、現代のアボリジニ作家達は、伝統的な形式に全くこだわらず、かなりすっ飛んだ発想で作品を作っている人も少なくないなあということです。最近、何が芸術なのか、よく分からなくなっている私には、良し悪しがいまいち判断できないのですが。「日本人が作ったから日本人アートで良い」というのが、明らかにナンセンスであるのと同様に、「アボリジニが作ったからアボリジニアートは良い」という考えもそうではないか？木の皮に単純で限定された色だけで描かれていた伝統的なアボリジニアートと違い、現在のアボリジニアートは千差万別。本当にスタイルはバラバラ。これぞ、アボリジニアートという共通の形式は全くなく、アボリジニアートかどうかは、単に作家がアボリジニかどうかで決まっているのが実情であると思います。アボリジニアートという枠組みが無くなる時代がもし来るとしたら、それはきっとオーストラリアにおけるアボリジニの存在が、今とは異なる、一段階ステージを上に上がった世界での出来事になると思います。「アボリジニ作家」ではなく、単純に「作家」として称される次世代の未来です。<br />
　アボリジニアートについて、よく知りもしないくせに、ちょっと蛇足が過ぎましたか。話を初心に戻して、ブリスベンを訪れたら、必ず訪れて欲しい観光地をご紹介します。<br />
　それはブリスベンからバスで３０分、本数も多く交通の便の良い。ローンパイン・コアラサンクチュアリでございます。世界最大最古のコアラ園です。とある本によれば、１３０頭を超すコアラがいるそうです。そのコアラの多さは、実際に訪れてみて、ハンパではありませんでした。コアラばっかり！コアラばっかり！コアラばっかり！赤ちゃんもいっぱい。私はコアラが普通に好きなだけでしたが、ここでコアラに囲まれて、コアラを実際に触って、大好きになりました。ものすごく好きになりました。コアラの顔、もさっとした動作を思い出すだけで、思わず顔がにやけてしまうコアラバカになりました。ここの園のコアラはよく動いてくれたし、オスのコアラの鳴き声も聞けました。うおーうおーと、えらく野太い声で吠えるんですよ。<br />
　また、園内に放し飼いされているカンガルーは触り放題です。コアラサンクチュアリという前に、コアラ大好き人間にとっては、まさに夢のコアラパラダイス。ここにいけば、もう他の動物園に行かなくてもいいんじゃないかなあとさえ思います。また、コアラ抱っこ写真には１５ドルかかるのですが（貧乏旅行者泣かせ）、実は触るだけなら無料なんです。園内では一日中、鷹ショーやシープドッグショーなどのイベントがありますが、その一つ、コアラプレゼンテーションが終わった後、飼育員さんに抱っこされたコアラを触ることができます。コアラの毛はジュータンのようでした。このちょっとお得な情報、場末のここのブログを読んで下さってる皆様だけの胸の内に留めてくださいね（笑）。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1118_c.JPG">
<img height="150" alt="1118_c.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1118_c-thumb.JPG" width="200" />
</a>]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_32.html</link>
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         <category>ブリスベン編</category>
         <pubDate>Sun, 18 Nov 2007 09:28:11 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ブリスベン植物園</title>
         <description><![CDATA[<p>
　ブリスベンには二つの大きな植物園があります。一つは、極度に蛇行するブリスベン川とシティを一望に見下ろせる展望台で有名なマウントクーサ。写真は観光地化している展望台からの景色で、左がシティで右にちょっこと見えるのが川ですね。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_mt.JPG">
<img height="150" alt="1116_mt.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_mt-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp; 山の麓にある植物園は、かなり大きいです。短時間でまわれるコースもありますが、適当に歩いてしまった私は、山道に入りかけ危うく遭難しそうに（笑）。因みに、この植物園では日本に出会えます。1988年にブリスベンで催された国際博覧会の日本パビリオンから移築された日本庭園、そして盆栽ハウスがあるんです。係の方の話では、ブリスベンにはオージーの盆栽クラブが二つもあるそうですよ。盆栽はオージーに人気です。シティからマウントクーサ行きのバスは一時間に一本。しかもシティに帰るバスの最終時刻が夕方４時頃と、結構車がないと不便なところにあるのが難ですが、一日じっくり自然の中でのんびりしたい方には格好の場所でしょう。豆情報として、植物園のレストランのサンドイッチは安いのに、今まで私がオーストラリアで食べてきたサンドイッチの内、ベストのお味でした。<br />
　もう一つは、シティの外れにある植物園。シティを平日ぐるっと回る無料バスに乗って行くことができます。歩いてもOK。クイーンズランド州で最も古い歴史のある植物園です。元々は、開拓者の畑でした。
<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_garden.JPG">
<img height="150" alt="1116_garden.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_garden-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　この植物園で、私の大好物のフリーガイドツアーをお願いしました。ガイドさんと私の二人きりです。フリーガイドツアーって人気がないようなので、大抵、こんな風に一対一のVIP待遇になるんです。もっと皆さん、利用されたらいいですよ。ここのボランティアのガイドさんは、私の拙い英語にも優しく付き合って下さったし、植物の説明も詳しく、非常に内容の充実したガイドツアーでした。感謝してます。
　次いでながら、ガイドツアーで教えてもらったアボリジニに関する植物を一つだけご紹介しましょう。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_bunya.JPG">
<img height="150" alt="1116_bunya.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_bunya-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　この木、Bunya Pineと言います。木の頂がドーム上になるのが特徴です。松の一種で、２０cm以上にもなる非常に大きな松ぼっくりができます。だから、Bunya Pineの大きな木の下には、「松ぼっくりが危険なので頭上に注意して」なる立て看板があったりします。この松ぼっくりは、一つ3ｃｍぐらいのBunya Nutsが寄せ集まって出来ています。そして、アボリジニはBunya Nutsを食べていました。食いしん坊の私が何処で食べられるか聞くと、ファーマーズマーケット（農作物の生産者による週末市場）でたまに売りにだされるとのことでした。幸いにも、Powerhouseのファーマーズマーケットに遭遇した私は、店の人にも聞いたりして探しましたが、発見できず。いつか食べたい〜、Bunya Nuts〜♪<br />
　さて、このガイドツアーの中で、ガイドさんが一つの銅像を紹介してくれました。Brolgasと呼ばれるオーストラリアのコウノトリ二匹の間に、一人の男性。彼の名は、Jemmy Morrill。彼の同胞の白人と、彼を救ったアボリジニの間の架け橋となって活躍した人物です。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_jemmy.JPG">
<img height="150" alt="1116_jemmy.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1116_jemmy-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　1846年、当時22歳だった船乗りJemmy Morrillを乗せた船は、グレートバリアリーフのアウターエッジで難破してしまいました。そのただ一人の生存者であった彼は、アボリジニに発見され、１７年間もの間、アボリジニと共に暮らしました。後に、Bowen地区の白人居住地に戻った彼は、アボリジニと白人開拓者の仲立となり、双方の関係改善のために重要な役目を果たしました。
　彼が見たアボリジニの社会とは、どんなものだったのでしょうか。そして、アボリジニの社会で暮らし続けた彼の胸中とは？日本でいえば、ジョン万次郎。異なる文化の間に生きた人間の生き様というのは興味を惹きつけられますね。
</p>
]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_33.html</link>
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         <category>ブリスベン編</category>
         <pubDate>Thu, 15 Nov 2007 10:34:56 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>連絡先</title>
         <description>アボリジニの情報やこのブログへのご意見ご感想をお寄せください。
連絡先:  kaigara0au@gmail.com 
宜しくお願いいたします。</description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_34.html</link>
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         <category>伝言板</category>
         <pubDate>Wed, 14 Nov 2007 20:30:02 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>クイーンズランド図書館</title>
         <description><![CDATA[&nbsp; 先日ブリスベンにあるクイーンズランド図書館が好きと書きましたが、ブリスベンに数ヶ月以上滞在していたという日本人とバッパーで話した際のことです。私が目を輝かせて、「州立図書館は良かったでしょ？」と聞くと、答えは「別にぃ」。・・・・ちょっと切ない。　私のオススメとは万事こんな感じかもしれません。マイナーな好みでマイナーなブログを書き、マイナーな人生を送り続けています。マイナーリーグ万歳！　と、どうでもいい前置きは横において、今日はクイーンズランド州立図書館内にある、Indigenous Knowledge Center 原住民情報センター「kuril dhagun」をご紹介します。場所は前回の博物館と同じサウスバンク。博物館と美術館を通り過ぎ、さらに奥に行きましょう。<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114li.JPG">
<img height="150" alt="1114li.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114li-thumb.JPG" width="200" />
</a>&nbsp; 外壁は打ちっ放しのコンクリート。しかし、モスグリーン色に彩色されたそれには、冷たさがなく、逆に、林の木立に入ったような落ち着きと爽やかさを感じさせます。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114en.JPG">
<img height="150" alt="1114en.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114en-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
「kurik dhagon」は地上階にあります。資料によりますと、「kuril dhagun」とは、現地のアボリジニの言葉で「kurilの場所」。kurilとは、ブリスベン川に面した図書館の側でよく見られる、土着の水生ネズミの名前だそうです。伝統的なものから現代的なものでまで、アボリジニとトレス諸島の人々の知識を学ぼうというのが、このセンターのコンセプトの一つ。お洒落なセンター内には、現地の人々の話が聞けるタッチパネル式のテレビが設置されています。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114tv.JPG">
<img height="150" alt="1114tv.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114tv-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp; また、ローカルのアボリジニやトレス諸島の人々と一緒にキャンプファイヤをしながらお喋りをする「A night by the fire」や映画の上映会などの各種イベントを催しています。「A night by the fire」は、月一開催で、私は参加できませんでしたが、次回は11月20日だそうです。興味のある方はどうぞ。<br />
　　そして、今回スポットをあてるのが、アボリジニの恋物語。館内の小ブースで繰り返し上映されている、約５分の短いアニメーションです。毎度ながら、私は英語が得意ではないので、英語のナレーションを完全には聞き取れませんでしたが、分かった範囲内でご紹介させて頂きます。<br />
　お話の名前は「Nanji&amp;Nguandi」。ブリスベン近くの部族に伝わる、悲しい恋物語です。<br />
　NanjiとNguandiは幼馴染。二人は、小さい頃から一緒に海に貝を採りに行ったりと、大の仲良しでした。やがて大人になった二人の間に愛が芽生えます。けれど、彼女には部族が決めた婚約者のおじさんがいました。二人の仲に気付いた家族は、彼女に婚約者との結婚を強いります。彼女の意思に反して、執り行われた部族ぐるみの華々しい祭り（結婚式？）の最中、「ちょっと待ったあ！」彼は花嫁の手を引き、共に祭りから逃げ出します。海に向かった二人は泳いで逃げます。それに怒った仲間の部族は、部族の守護神ともいえる大蛇を呼び出しました。大蛇は炎を吹き、二人を深海へと追い詰めていきます。そこに、我らがRainbow Serpent 虹の大蛇が登場。虹の大蛇が歌を歌うと、二人の体は色鮮やかな珊瑚のように変わっていくではありませんか。二人の姿を見失った大蛇は怒りに駆られ、カヌーで二人を追いかけていた婚約者のおじさんを逆に海に沈めてしまいます。海の底にきた二人に、虹の大蛇は尋ねました。「もし、私と此処にいるというのなら、お前達はずっと一緒にいることができるだろう」二人はそれを受け入れ、青い海の底の珊瑚となって、今も共にいるのです。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114hebi.JPG">
<img height="135" alt="1114hebi.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1114hebi-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp;リスニングを間違っていたら、すいません。<br />
　ところで、オーストラリア大陸最東端の岬であるバイロンベイを訪れた際、似たような物語を見かけました。バイロンベイの岬から、それなりに大きい小島が見えます。その小島は、アボリジニの伝承によると、その地方を創造した神様（spirit）の休憩場所という話の他に、海に逃げて溺れた恋人達が変化した島との話もあるそうです。仲間の部族に結婚を反対された恋人達が海に逃げていった、悲恋物語。　また以前、シドニーの海洋博物館だったと思うのですが、同部族内ではなく、異なる部族間で結婚をすることが決められていたとの説明を見た覚えがあります。<br />
　隣近所の付き合いが希薄になってきた日本の現代社会。それを可能にしたのは、周りと協力しなくても生きていけるからであって、隣近所の助けが必要不可欠な田んぼを耕していた時代には、色々と村の掟がありました。　アボリジニが生きていた世界は、とても自然が厳しいところ。そこでは、個人主義だなんて悠長なことはいってられず、周りの人間と助け合わなければ生きていけません。個人よりも団体の意思というのが尊重されます。　彼らがドリームと呼ぶ神話伝承において、万物を想像した祖先の霊達は、Law 、彼らが守るべき法や掟をも定めたといいます。「ドリームが法を定めた」と強調しているようであることが私には不思議だったのですが、自然の中にいて自由人と思える彼らの方こそ、助け合いの集団を維持するために、人間社会の厳しい決まり事が必要だった。そのように今は考えています。<br />
　恋人達の悲しい物語が残されているように、伝統的なアボリジニの結婚というのは、部族内の取り決めというか掟とかに縛られて、それほど自由ではなかったのかもしれませんね。<br />
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         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_31.html</link>
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         <category>ブリスベン編</category>
         <pubDate>Wed, 14 Nov 2007 12:42:05 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>クイーンズランド博物館</title>
         <description><![CDATA[　オーストラリアの都市は水辺の風景。シドニー湾のシドニーをはじめ、パースにはスワン川、メルボルンにヤラ川、アデレードにトレンス川、そしてブリスベンにはブリスベン川。そのまんまの川の名前だというツッコミはさておき。ブリスベンのシティ、メイン道路のクイーン・ストリートから続く、ヴィクトリア橋でブリスベン川を渡ると、そこは図書館や美術館などが集結する文化芸術の中心地、サウスバンクであります。下の写真は、左がシティで右がサウスバンク。
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_bri.JPG"><img alt="1111_bri.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_bri-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a>
　今回ご紹介するクイーンズランド博物館は、その一角、橋を渡って直ぐのところです。子供が楽しく科学を学べる科学館のコーナーは別にして、入場料は無料。Museum Zooと称して動物の剥製があったり、飛行機や車があったりします。
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_animal.JPG"><img alt="1111_animal.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_animal-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a>
　博物館を上にずっと上がって、一番奥がアボリジニのコーナーです。このフロアは写真撮影が禁止。英語の解説文を直ぐに理解できない私には非常に辛いのですが、おそらく肖像権等の関係から、写真撮影が禁止されているようです。
　「Dandiiri Maiwar」と名付けられた、ここアボリジニ・トレス諸島文化センターは、それほど大きくはありませんが、コンパクトに情報がまとめられている印象をうけました。時間がないけど、ちょっとアボリジニについて知りたいよという方には、適当な小ささではないでしょうか。建物自体が新しいようなので、造りも綺麗です。

　植物の利用方法等の伝統的文化の解説や、華々しく飾られている現代社会で活躍しているアボリジニの著名人の写真など。特別展示では１９６７年の国民投票を模した投票所が設けられていました。３つほどの問に対してYESかNOを答えるのですが、その内の一つを。メモを取るのを忘れてうろ覚えで申し訳ないですが、「現在、アボリジニは平等の権利を享受していると思いますか？」には、（ここを訪れたオーストラリア人はどのような票をいれたのだろう？）、と考えさせられました。
　次に、数ある展示解説の中から足を止め、辞書をひきひき読解を試みたコーナーに触れたいと思います。
　まず、クイーンズランド州のアボリジニにとっての冬の時代について。１８９７年の特別法
により約１００年もの間、アボリジニの人々がどんな境遇にあったのか。

　法の下、アボリジニの人々はミッションに強制移住させられ、子供は親元から引き離された。それは家族を崩壊させ、文化を断絶させるものであった。ファームでの労働による賃金は、全てを現金として受け取れず、クイーンズランド州の銀行口座に自動的に振り込まれた。しかし、口座からの引き出しには許可が必要で、しばしば政府によって承諾なしに引き出され使用されてしまった。賃金からとられる税金は、アボリジニの福利厚生基金のためのものだったが、実際は白人開拓者やミッションの維持費のために使われることがあった。アボリジニの結婚は制限をうけ、１９６０年代までChief Protector（保護官）の承認が必要だった。女性は１２歳で奉公にだされ、白人家庭の家事に従事していた。

　労働をしたにも関わらず、不当に奪われた賃金について、その後、裁判をおこしたアボリジニの人々もいます。そのような酷い処遇を、アボリジニの人々が長い間受けていた事実があります。そして、それを包み隠さず（或る部分は未だ秘密にされているかもしれないけれど）、展示物の形で伝えていく文化をオーストラリアは持っているのだとも思います。

　最後に、「Aboriginal　English」について。このブログの一番初めで、「私はアボリジニ英語を喋っている」と笑っていたアボリジニのおばさんの話を書きましたが、私はアボリジニ英語をこのおばさんの造語だと思っていました。けれど、アボリジニ英語はオーストラリア社会に一つの言葉として、別個の言語として認められていることを、今回、この博物館で初めて知りました。その言葉の定義としては、「英語の中に、アボリジニ特有の言葉やアクセント、文法や意味が混ざったもの」。英語とアボリジニ語がゴッチャになってるんですね。解説で紹介されていたアボリジニ英語の例を幾つか挙げておきます。
mob=group/community/family/region
murii=Aboriginal person(Queens land）
migloo=white person
Which way?=How are you?/What's going on?

<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_hikouki.JPG"><img alt="1111_hikouki.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1111_hikouki-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a>]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_30.html</link>
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         <category>ブリスベン編</category>
         <pubDate>Sun, 11 Nov 2007 16:39:23 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>バッパー旅の展示会</title>
         <description><![CDATA[　つい先日、シドニーに戻ってきたのですが、どんよりした曇り空に時々雨、冬を思わせる寒さに驚いています。シドニーはもう暑い初夏のはずなのに、シドニーを離れた９月と、ほぼ変わらない陽気。日本人の友達に聞いたところ、ここ１週間ばかり、こんな調子だそうです。異常気象ですね。おかげで、卒業できると思っていた冬服を未だ未だ手放せません。半袖ではブルブルする日があります。
　この天候不順。バッパーで出会った韓国人の女の子は、ブルーマウンテンに折角行ったのに、全く何も見れなかったと嘆いていました。ブルーマウンテンで雨に見舞われると、靄（雲？）が立ち込めて、かの有名なスリーシスターズを望む展望台からの景色が、完全に白一色になってしまうのです。雄大なユーカリの森を見渡すどころの騒ぎではありません。何も見えません。ブルーマウンテンを気に入っている私も、１週間弱滞在した際の数日間、この雨を経験したのですが、街中でさえも、靄で数メートル先が見えないほど、ものすごい状態です。ブルーマウンテンに行かれる方は、どうぞ天気にご注意を。ただ、山の天気は変わり易いように、午前中は雨でも、昼からは太陽が覗いたりもするので、幸運を天に祈ってくださいね。
<br />
　ところで今回は、アボリジニとは関係無いのですが、タイムリーなシドニーの話題をお届けします。１１月９日から明日１１日まで、ダーリン・ハーバーのエキシビションセンターで、Adventure travel&amp;backpackers expo の展示会が開催されています。何故、こんな話題をするかというと、個人的に是が非でも見たい、興味深い展示会でして。パースinして東へ向かい、シドニーから北上していった私の宿泊地は、ほぼ常にバックパッカーズホステルでありました。滞在したその数は５０軒近く。これは結構な数だと思うのですが、一箇所に留まらず様々なバッパーを渡り歩いて、本人は色々と研究しているつもりです（笑）。それ絡みの情報を仕入れるのは、私にとって極めて重要なのであります。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_entrance.JPG">
<img height="150" alt="1110_entrance.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_entrance-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;さて、展示会の入り口はこんな感じです。会社員時代、仕事の関係で展示会にしばしば足を伸ばしましたが、海外の展示会は初めて。でも、所狭しと並ぶブースを見ると、どこか懐かしい感じがします。ちなみに、入場料は７ドル。しかししかし、バッパーに置かれている情報誌を漁るのが常の私は、執念でタダ券をゲットしてから行きましたよ。TNT magazinenなどにタダ券が入っていました。<br />
　この展示会は、バッパーを利用して旅をする１０代から３０代まで（&larr;年齢はおよそです）のアドベンチャーな世界旅行を好む人々を対象としているようです。世界各国、オーストラリア各地の観光紹介ブースが並んでいます。ヨーロッパからアメリカ、東南アジア、太平洋に浮かぶオーストラリア近くの南の島トンガ王国やフィジー、そしてインドや韓国などなど。日本の観光ブースが無かったことが非常に残念でした。YOKOSO!JAPANで日本の観光誘致をしている皆様には、バッパーを利用して旅する「通の」世界旅行者へのアピールをもっと頑張って頂きたい。他には、バックパッカーズホステルグループの代表格であるYHAやVIP。バッパーの足であるGreyhound Australia バスやThe Ghan &amp; Indian Pacific の長距離電車。STA Travel等の旅行会社やアドベンチャーツアー催行会社、hostelworld などなど。オーストラリアをラウンドしている人間にとっては、馴染みの会社の数々ですね。<br />
&nbsp; 面白いのが、お客さんが撮った写真をポストカードにしてくれる会社が幾つか。バッパーに泊まっていると、白人の旅行者が１０枚近くポストカードを一気に買い込んで、せっせと手紙を書いているのをちょくちょく見かけます。そういう文化があるんですね。各ブースには、観光紹介パンフレットなどが置かれています。割引クーポンも置かれていましたが、その数が思ったより少なかったのが、ちょっとがっかり。ノーザンテリトリーのブースでは、なんと生きてる蛇と赤ちゃんワニを触らせてくれました。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_zentai.JPG">
<img height="150" alt="1110_zentai.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_zentai-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp;&nbsp; また、展示会といえば、それに付随して、プレゼンテーションがあるのが常套であります。この展示会ではルームを二つ用意して、３０分間の旅紹介のプレゼンが切れ間なく行われていました。例えば、「Highlight of OZ in 30 minutes」は、わずか３０分の間に、オーストラリア全土の観光地を一挙に紹介するという、聴き応えのあるもの。シドニーからぐるっと半時計周りに、ウルルもカバーして、写真を見ながらのプレゼンを聞き終わると、頭の中が満腹になりました。「Woman Travel the World」では、女性のバックパッカー旅行者のための旅のヒントを。日本女性より強いと思うオージー女性にも、そのようなプレゼンがありなんですね。「Living&amp;Working in London」では、ビザの説明もあり、物価の説明もありと、オーストラリア人へのイギリスへの関心の高さを感じたりしました。そして、奥のステージでは、ハワイアンのダンスショー。なかなかバラエティに富んだ楽しめる展示会でした。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_dance.JPG">
<img height="150" alt="1110_dance.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_dance-thumb.JPG" width="200" />
</a>　<br />
&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;しかし、展示会の一番の楽しみといえば、何といっても御土産でしょう！日本の展示会に行った際、各ブースで配られる無料の御土産にほくほくしたのを思い出します（仕事もちゃんとしていましたよ）。
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_miyage.JPG">
<img height="186" alt="1110_miyage.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/11/1110_miyage-thumb.JPG" width="200" />
</a>　
&nbsp; そして、今回の戦利品がこちら！バックやボールペンのよくあるものの他に、写真では写っていませんがフルーツのデザート、加えて無料のTシャツまで頂きました。貧乏旅には有り難いですね。やっぱり展示会は楽しいです。　シドニーにいる貧乏旅の同士の皆様。もし、これを読んでいたら、もう１１日までですけど、遊びにいってみてくださいね。<br />
　日本の皆様。シドニーは現在、サマータイムを実施中です。元々の日本との時差１時間プラスもう１時間時計が早く進んでいます。日本で夜６時の時に、シドニーは夜の８時。空を見上げると、未だ明るい。夜はゆっくり休みたいのに、明るい夜空に、何だか落ち着かない私です。 ]]></description>
         <link>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_29.html</link>
         <guid>http://kaigara.25today.com/2007/11/post_29.html</guid>
         <category>伝言板</category>
         <pubDate>Sat, 10 Nov 2007 22:27:53 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>残された請願書</title>
         <description><![CDATA[
<p>
&nbsp;※今回は引き続き、アデレードでみた１９６７年の憲法改正を物語る展示会「The journey」についてご紹介します。<br />
<br />
　請願書には、どの程度の効力があるのでしょうか？<br />
　請願とは人民が統治者に対し希望を述べてその実現を願い出ること。君主に対して誓願しても処罰されない権利として、日本国憲法でも基本的人権の一つとして数えられていて、言論・出版の自由や議会政治の発達とともにその重要性を失ったそうです。日本の請願法（1947年）によれば、国会に対する請願は議員を通じて、他の官公署には管轄官公署に書面で提出する。しかし、請願を受けた機関は回答したり、希望通りの処置をする義務があるわけではないそうです。（以上、マイペディアを参考）<br />
　<br />
　請願書とは、立場の弱い人間が困窮する状況を打開するためにとれる数少ない手段の一つ。暴力に訴えず、平和的に合法的に現実を変える手段。請願書には、数多くの人々の強い思いが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだと思うのです。<br />
　その思いに比べれば、蟻んこみたいなものですが、実は私も会社を辞める前に、会社のエライ人へ請願書もどきを送った経験があります。返事はありませんでした。せめて読まれていれば有り難いですが、メールで送った文章は、おそらく秘書さんの手でポイとごみ箱に直行して終わりだったでしょう。<br />
　訴えるという行為は弱いです。訴えて、それが効力を持つには、訴えられた側の人間の力量に左右されるからです。請願書を受理するのも破棄するのも、訴えられた側次第。<br />
　しかし、これからご紹介する請願書は、今、私達がその存在を知ることができる形で、きちんと残されました。<br />
　まずご紹介しますのが、1967年の憲法改正へと繋がる、ほぼ同時期にだされた２つの請願書。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/Federal%20Council.JPG">
<img height="266" alt="Federal%20Council.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/Federal%20Council-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　1957年にThe Aboriginal-Australian Fellowshipは、憲法改正を求める請願書をだしました。続く1958年には、The　Federal Council for Aboriginal Advancementが、ほぼ同様の内容の請願書を、３ヶ月間で二万五千人以上の署名を集めて、議会に提出しました（上の写真）。これらの請願書が求めた、Section 51の（xxii）とSection 12の項目の改正は、後に見事に実現することになります。<br />
<br />
　次に、アボリジニの文化を象徴する木の皮に書かれた請願書。アボリジニアートが施された美しい請願書です。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/bark.JPG">
<img height="150" alt="bark.JPG" src="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/bark-thumb.JPG" width="200" />
</a><br />
　この請願書は、1963年、Yirrkalaの複数のアボリジニグループを代表する９人の署名入りで、議会に提出されました。アボリジニのGumatjの言葉と、訳して英語によって書かれています。アーネムランドの彼ら伝来の土地で、彼らに無断で採掘や土地の削除が行われていること。また、その土地は、太古からYirrkalaの人々の狩猟や採集の土地であることを訴えました。<br />
<br />
　これらの残された請願書の背後に、どれだけ多くの捨てられた請願書があるのか、請願もされずにかき消された多くの人々の思いがあるのかを考えます。今に残る請願書は氷山の一角であり、どれほどたくさんの思いが、うねりとなって歴史の流れを作り出しているのか？<br />
　訴える、思いを伝えるという行為は、全くの無駄に終わることも多いかもしれないが、少しでも何かを変えることができるのかもしれない。思いをのせて届けられた、これらの請願書は、確かに歴史に足跡を残したのだから。<br />
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         <category>The Journey</category>
         <pubDate>Fri, 19 Oct 2007 11:11:30 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今後の予定</title>
         <description>※今回は全くアボリジニに関係ない話 です。今の私の所感なんですけど、たまには、こんな話もアリということで。

　思えば遠くに来たものです。
　パース入りして東へ横断、シドニーが旅の終着点と初めは思っていましたが、さらに北上して、ニューカッスル、バイロンベイ、サーファーズパラダイスときて、ブリスベンまで来てしまいました。
　シドニーにいる時、確かに働くつもりだったんです。しかし、仕事を見つけるためには英語力がもっと必要で、英語をもっと勉強するために、『働く代わりにタダのホームステイWWOOF』に参加しようと思い、ホストファミリーをなんとか見つけたらニューカッスルより北だった。
　その勢いに任せて、北にどんどん流れていきました。

　そして、その後、ケアンズに用事が出来まして、今月末にはケアンズに到着せねばならないです。
　もうちょっとブリスベンにいたかった気分ですが、これくらいが潮時かもしれません。現地の人によると、ブリスベンの夏は「高温高湿で熱帯夜」だそうで、これから夏を迎えるブリスベンには、ちょっと住めそうにないです。暑いより、寒いのが好きで得意です。
　そして、来月初旬には、これまた用事で、一気にシドニーに戻ります。私はシドニーが一番便利な場所だと思うので、ここで職探しをします。
　そして、仕事が見つかっても見つからなくても、ここらで、ふらふら放浪旅は一区切りつけようと考えています。仕事が見つかったら万々歳でお金を稼ぎ、見つからなかったら、オーストラリアの旅に本当のフィナーレを迎えて（タスマニアかウルルに行ってから）、日本に帰ろうと思います。
　流石にお金はもう無いです。働くことが優先事項です。
　来月の今頃、私がどこで何をやっているか、私にも分かりませんが、旅ではなく、働くモードになっていて欲しいと思います。というか、私自身が努力して、そうしていなければなりませんね。
　当日の宿さえ決まってないのが普通だった私も、社会復帰を真剣に考える時期に入ってきたんでしょう。
　ブリスベンのバッパーのベランダから、朝の８時ぐらい、交差点を渡る通勤に向かう人の大きな波を見たんです。以前、私もこの人の波の中にいたんだよなあと、しみじみ思いました。

　私はいつも、「ないものねだり」なんです。
会社にいた頃は、今のような放浪旅がしたくてたまらなかった。一人で、明日どこにいるかも分からないような移動の日々を送ってみたかった。
　それを叶えたはずなのに、今度は、バッパーの汚い相部屋ではなくて、ひとまずは綺麗な一人部屋で、朝ちゃんと起きて、昼間は仕事をして、夜はちゃんとくつろいで寝る日々を送りたい。
　家で転がってポテチでも食べながら、DVDを鑑賞する休日の昼下がり。そんな時間、オーストラリアに来てから、一度たりともありません！
　仕事がないのだから、今は休日であるのに、休日だから味わえるはずの、家でゴロゴロゆったりくつろげる時間は皆無。
　それが移動の旅の一面です。
　しかし、何だかんだいっても、私の本性は遊牧民族だと子供の頃から思っているので、多分、他の人よりも、この移動生活に順応しているような気がします。
　だけど、今はお金を稼ぎたいし、何よりも、責任を持って仕事をする喜びや達成感を私は知っているので、それを再び、手にしたいのです。
　日本に小さな畑つきの家をもって、そこを拠点として世界中を旅して回れる仕事ができれば、本当に幸せですね。

　実際にやってみる、というのは大切なことでした。
　オーストラリアに来て日本の素晴らしさに気付くのと同じように、会社をやめて放浪旅をしたからこそ、会社員の良さに気付きます。でも、会社員の悪いところ、というのにも同様に気付くのです。
　同じように、放浪旅の良いところ、悪いところにも気付きました。
　全てが全てOKだなんて生き方、この世界にありませんね。
　その人の性格にあった生き方しかできないし、その人の性格にあった生き方ができれば幸せだと思います。
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         <link>http://kaigara.25today.com/2007/10/post_27.html</link>
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         <category>伝言板</category>
         <pubDate>Wed, 17 Oct 2007 15:16:52 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>穴場！ブリスベン</title>
         <description><![CDATA[<p>
　北はケアンズ、南はゴールドコーストに挟まれて、ちょっと目立たないクィーンズランド州の州都がブリスベン。今まで目的地とした中で最低レベルの期待度でしたが（スミマセン）、その分、良さを知った後の感動はひとしおでした（ちなみにメルボルンは最高レベルの期待度だった分、がっかり感が一番でした）。ブリスベンは、なかなかの穴場ですよ！<br />
&nbsp;　ゴールドコーストを代表するサーファーズパラダイスでブラブラしているより、早くブリスベンにくれば良かったなあと自分は後悔しています。ブリスベンより日本人がいっぱいのサーファーズパラダイスは、遊園地だとかお金をかけないと遊べない所ばかりなんですよね。金持ちとサーフィン大好きの方なら、その名の通り楽園でしょうが、時々朝昼飯をケチって一緒にしちゃうような節約旅の私には、波打ち際でトドよろしく波にもまれて笑ってるぐらいしかないです。まあ、それも非常に『非常に』楽しいのですが！　<br />
　週末にちょろっとサーフィンを楽しみたいぐらいなら、ブリスベンに住めば宜しいです。ブリスベンからサーファーズパラダイスまで、バスで１時間ぐらいしかかかりませんから。ブリスベンの方が勿論街の規模が大きく、ショッピングの選択の幅も広く便利ですよ。<br />
<br />
　ところで、ブリスベンで私が最も好きなのは、州立図書館です！（また、マイナーどころですね）。建てられて、やっと一年になろうかという建物は、非常にお洒落でモダン、インターネットや本を読むスペースは一流ホテルのロビーみたい。
</p>
<p>
&nbsp;<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/1013_1.JPG">
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</a>　
</p>
<p>
　私は図書館が大好きで、パース、アデレード、メルボルン、シドニーと調査を続けてきましたが、ブリスベンが一番好きです。メルボルンの宮殿のような図書館もステキなんですが、一市民の 私は圧倒され過ぎてちょっと落ち着かないですね。<br />
　ここは美術館や博物館、植物園も充実しています。なんといっても建物が新しくてキレイでステキ。無料で楽し めるこれらの文化施設こそが、私の観光名所です！サーファーズパラダイスの最大の弱みは、こういう無料文化 施設がないことですね。　<br />
　そして、こんな感じの私にとって、ブリスベンは穴場なのでした。その辺をご了承おき。<br />
<br />
　 そんな訳で、数日前からブリスベンに潜伏中です。ブリスベンについて話したついでに、私の大好きな木の花も ご紹介しましょう。今、ブリスベンでは、この花がちょうど満開。あちらこちらの街角に、鮮やかで美しい色を 添えています。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/1013_2.JPG">
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　木の名はジャカランダ。植物園の無料ガイドツアーのガイドさんの話では、オーストラリアの木ではなくブラジ ル原産です。移民が持ち込んだんですね。オーストラリアではここクイーンズランド州こそが、この木が最 初に植えられた所だそうです。藤の色を思い起こさせる雅な紫には、いつもウットリ。そして、風に吹かれて花 が散る様は、桜に相通じるものを感じます。実際は花びらが散るのではなく、ラッパ型の花全体が落ちるんです が。「紫の桜」は本当に美しく、私の大のお気に入りです。この花のおかげで、ブリスベンの私の印象もアッ プしたのでしょう。<br />
<a href="http://kaigara.25today.com/upload/2007/10/1013_3.JPG">
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</a>　<br />
<br />
　それでは、このブログの主旨、アボリジニに関する情報を、触りだけ今回お伝えします。<br />
　まず、ブリスベンはアデレードと似たような感じがします。アボリジニの情報をキャッチし易いです。実は、メルボルンとシドニーは、アボリジニの情報を非常にキャッチしにくく困ってました。この二つの大都市に、アボリジニに関する情報がないのでは決してありません。ただ、鬼太郎の髪の毛のアンテ ナの如く、私の情報をキャッチする「アボリジニアンテナ」の感度がどうも鈍らされてしまっていました。そこ には、刺激や情報があまりにも多すぎて。単純にいえば、他にも楽しいことが盛沢山の街だから？また、大都市 だけあって、アデレードと違ってアボリジニを見かけることがほとんどなく、大都市の雑踏に、彼らの影がかき 消されてしまっていたようにも感じます（観光の世界は別にして）。蛇足気味に付け加えれば、アデレードのア ボリジニ（Kaurna）が、私が訪れた州の中でも、最も際立って表舞台で（観光でなく、政治などの公の世界で） 活躍していると思います。あくまでも、少しかじった程度の人間の所感ですけど。<br />
　アデレードの情報量には及ばなくとも、ブリスベンの情報は、分かり易い形で、非常にコンパクトにまとまって いるように思います。<br />
<br />
　後程、詳細をご紹介するスポットは、州立図書館の中にある情報資料センターKuril dhagun、博物館の中にある 展示コーナーDandiiri Maiwar、現代美術館GoMAの現代アボリジニアート、などです。市内にある植物園では、アボリジニと白人にまつわるステキな話も知ることができました。<br />
　これから、未だ途中のアデレードでの出来事（特に国民投票にまつわるThe Journeyは是非とも皆様にお伝えし なくてはならないことと考えています）と交互に、現在進行形のブリスベン情報をお伝えします。
</p>
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         <link>http://kaigara.25today.com/2007/10/post_26.html</link>
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         <category>ブリスベン編</category>
         <pubDate>Sun, 14 Oct 2007 16:00:40 +1000</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アボリジニin オージー家庭</title>
         <description>   WWOOFでは数多くの貴重な体験をしましたが、今回は、アボリジニに関することを少しばかり。一般のオージーの家庭で、実際にアボリジニがどう思われどう扱われているのか、私には興味があることです。
  まず、真っ先に遭遇したのが、トランプです。日本では大人がトランプに興じるのは一般的ではないと思いますが、西洋の文化では大人こそトランプで遊ぶようですね。仕事の合間に必ずといっていいほどしたトランプ。そのカードの柄がアボリジニアートでした。そして、壁にはアボリジニアートが幾つか飾られていました。アボリジニアートはオージーの家庭に、ごく普通に取り入れられているように感じます。

  また、オーストラリアの音楽として、ディジェリドウの現代アーティストの曲も聴かせてくれました。コンサートも観に行っていて、CDはサイン入り。ディジェリドウとロック調の音楽を組み合わせたものでしたが、私が「この人は有名なアーティストか？」と聞くと、渋い顔で「そうは思わない」との答え。実は私も同感で、感想はそんなにイイ曲じゃないな（笑）。こう、辛口の感想を書けるのも、オーストラリアの滞在も長くなってきて感じてきましたが、ディジェリドウは決して珍しいものではないのです。ディジェリドウの現代アーティストというのは、巷にたくさん存在している。彼は、あくまでもその中の一人であって、「ディジェリドウだったら誰の曲であっても素晴らしい」と感じる必要はないわけです。けれど、私が思うに、それはたいへん良いことであって、ディジェリドウが現代調にアレンジされアーティスト同士が切磋琢磨する競争原理にさらされているということは、ディジェリドウが進化を続け、今もなお生き生きと生き続けている証拠だと思うのです。「侘び寂び」を好む、私の個人的な好みでは、ギターなど無しの純古典的なディジェリドウの音楽の方が味わいがあって好きなのですけどね。

   話を戻しまして、私がお世話になったホストは、他のオージーよりも、アボリジニに興味があるのではないかと思った出来事を次に。ホストの奥さんが、満面の笑顔で私に話してくれました。ホストが、自分達のファームの地名の意味を調べたそうなのです。長い地名に英語を思わせる部分があったので、これまで英語かと思っていたが、それはどうやらアボリジニの言葉だった。そして、その意味がステキだったことを、大変喜んでいたのでした。私には、それが新鮮でした。アボリジニの言葉を気に入っているということがです。ご近所の人を招いてのパーティーでの歓談の際にも、嬉しそうに話していました。また、数日前に見た美しい虹の話題も出たのですが、ホストがRainbow Serpentと口走った時には、思わず私も「それを知っている」とはりきって言ってしまったものです。
  このように、私のオージーのホストからは、アボリジニに対する好意を感じました。

  ところで、私はオーストラリア人がアボリジニをどう思っているのか、たいへん興味があります。実際のところ、一般のオージーが、アボリジニに対して、どのような感情を抱いているのか是非知りたいと思っています。けれど、ホストファミリーに「アボリジニをどう思っていますか？」と疑問を投げ掛けることは、今回、出来ませんでした。答えに困ると思ったからです。アボリジニから土地を奪った祖先をもつオーストラリアの白人に、彼らをどう思うか聞く。後ろめたい歴史をもつ間柄について、どんな答えがかえってくるのでしょうか？

  ここで注意事項です。実は私のホストは移民です。ご夫婦二人とも、オーストラリアとは違う国で生まれ育ち、事実上の結婚後、お子さんと共に移住してきました。だから、もしかしたら、生まれも育ちもオーストラリアのオージーとは感覚が違うかもしれません。アボリジニに対する見方も、生粋のオーストラリア人とは全く違うかもしれません。けれど、そもそも「オーストラリアの白人」とは何なのか。私は未だ多くを知らない未熟者なので、「オーストラリアの白人」＝「征服民族の子孫」と捉えるところがありました。しかし、実際は、オーストラリアの白人が全て、アボリジニの土地を奪った先祖をもつわけではないのです。オーストラリアの白人の全てを一つの見方でまとめてしまう考え方は、「中国人と日本人は同じでしょ」と似たようなところがあります。世界的にみて、驚異的に単一民族国家といっても良いだろう日本で生まれ育った私は、他民族国家であるオーストラリアで、日本では気付けなかったモノの見方を学んでいる最中です。日本人は日本人の共通の歴史と文化をもつ。それは、ものすごいことですよ。一方、オーストラリア人は全てが同じというわけではないのです。それは単純なことのようだけれど、世界的にみても特殊な国だと思う日本にどっぷりの私が、それを聞き知りではなく体験で実感するには時間を要しました。

 「アボリジニをどう思っていますか？」今は、この直接な疑問をホストに投げ掛けても良かったのではないかと思っています。一つに、答えに窮するかと思っていた疑問は、ホストが移民である点で、その捉え方は生粋のオーストラリア人（生粋という言葉を使うのもどうかと思いますが）とは異なっていただろう点に今は気付いていること。もう一つに、もし答えに窮したとしても、西洋の人達は、日本人が答えに窮するだろうと遠慮しがちなことに対しても、しっかり自分の意見を言おうとする気があるからです。例えば、政治の話。どうも私達日本人は、普通の日常会話で政治の話をすることに慣れていません。けれど、オージーの家庭に入って驚いたことは、小学生の子供までもが、「ハワードはこう、あの大臣はこうだ」、など、自分の意見をいっちょ前に親に話して聞かせているのです。ある日、私は、「新しく首相になった人は、どんな人か」と聞かれました。その答えを英語で上手く表現できなかった。その前に、新首相のことをまるで知らないのだから、はじめから英語の表現の問題ではなく、いろいろと反省した次第です。
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         <category>now</category>
         <pubDate>Tue, 09 Oct 2007 16:48:57 +1000</pubDate>
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