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2008年01月03日

シドニー湾の新年花火!

 

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
早速ですが、オーストラリアにお正月はございません!大晦日も働いて、1月2日から普通に仕事が始まりました。日本の情緒ある年末年始が恋しくてたまりません。大掃除をして、去り行く年の一年間をしみじみと振り返る大晦日。寒さに身も心も引き締めて、新年の希望を心清らかに願う初詣。そもそも、私はNHKの「ゆく年くる年」をビデオ録画をしてでも見たいんです。このTV番組が大好きなんです。だからオーストラリアの年末年始は、私にはちょっぴり切なかったですね。しかし、少しでもいいから、この国で新年を迎える「お得さ」を感じたいではありませんか。年末年始にシドニーにいるという利点を生かし!だから行ってきました、シドニー湾のニューイヤー花火。日本人が、「混むのも承知、ホテル代が高くてもいい」とばかりに、わざわざ、このためにお正月にシドニーにやって来るという花火に(日本のお正月の方がよっぽどステキなのに…)。

 まず、夜の8時からダーリング・ハーバーでやった家族向けという花火を観ました。そんなに混んではいませんでした。しかも、花火が打ちあがるポイントが近く、臨場感がなかなかあって面白かったです。
 それを観てから、大大大混雑で名高い、サーキュラー・キーに向かいました。無謀なる挑戦です。サーキュラー・キーの港は、右手にオペラハウス、左手にハーバーブリッジが観える、絶好の花火観戦ポイントの一つです。私が初めにおおっと感動してしまったのは、シドニーの背骨といえるメイン道路、ジョージ・ストリートが、歩行者天国になっていたこと。
いつも車が行きかいする道路を大勢の人がぞろぞろとサーキュラー・キーを目指して歩くのは圧巻でした。この人ごみは新年の花火が終わってからピークに達するわけですが、それを見て感じたことは、外国人ばっかりだなあということ。人が多いからと地元のオージーは実際に行かずにTVで観戦すると聞いていましたが、その通りだなあと実感しました。そして、人ごみは結構ガラがワルイです。友達と行ったから安心でしたが、一人ではコワカッタでしょうね。ぎゃーぎゃー騒ぐわ、ぴーぴーホイッスル笛を意味も無く吹きまくる輩だわ。日本の初詣も人ごみがすごいですが、みんな新年を迎えて、どこか神妙で爽やかな顔つきをしていませんか。それに比べて、とにかくひたすらお祭り騒ぎで、これが夏のお正月というものかもしれません。夏祭りのノリなのでしょう。

 10時頃についたサーキュラー・キーは、ものすごい人だかりでした。押しつ押されつ、人にもまれながら、やっとこさ少しづつ歩ける状態です。足の踏み場もないほど、びっしりと人が場所とりに座っています。けれど、まだ座れるところがわずかに残されていました。
そこで、花火をひたすら待つことに。すっかり酔っ払い、イイ気持ちで大声で合唱をはじめた、白人のグループに囲まれて小さくなりながら。ちなみに、こう混雑する場所で、結構気になるのがトイレなのですが、サーキュラー・キーの駅のいつものトイレにはすごい行列ができていました。しかし、そこから少し離れたところに、立派な仮設トイレが幾つも設置されていました。そっちは空いていたうえ、掃除も頻繁に行っていたようで、仮設トイレと思えないほどキレイ。そのシドニー市(?)の姿勢には、素直に感心しました。
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 辺りが少し静かになりました。ハーバーブリッジに輝いていた、タイムカウントの砂時計の絵に、みんなの視線が注がれます。天に掲げられた幾つものカメラのレンズも、その時を待ちます。花火が打ちあがりました。みんなの歓声が花火の轟音と一緒になります。オペラハウスから、ハーバーブリッジから、そして背後のビルディングの屋上から、次から次へと花火が打ちあがります。夜空が一気に明るくなります。私のいたところからは残念ながら、オペラハウスは見れませんでしたが、ハーバーブリッジはなんとか。ハーバーブリッジの花火ときたら、上に向かって出て、横にも向かって出て、なんだこれは?!、三次元花火の様相。とにかく、火の玉が打ちあがる、打ちあがる、打ちあがる。この迫力はやっぱり、スゴイといわれるだけあります。でも、正直にいえば、私は日本の花火の方が好き。今回、初めて、オーストラリアの花火をまともに観ましたが、オーストラリアと日本の花火で明らかに違うところに気付きました。それは、大輪の花が開いた時の色彩の細かさと花が散り行く時の名残惜しさ。日本の花火はとても繊細で、花がチラチラと暗闇に消えていく時間が長い。儚さが美しい。一方、オーストラリアの花火ときたら、大味で、とにかく、いっぱい打ち上げちゃえって感じ。色もキャンディみたいなカラフルさで、おもちゃ箱をめいっぱいひっくり返しちゃったようだ。そんなことを言ってみましたが、オーストラリアの花火を私が楽しんだのも事実。大きな花火が続けさまに上がった時など、周りの外国人と一緒になって、すげーすげーと熱い歓声を送りました。一人寂しい異国でのお正月も、このシドニー湾の新年花火のおかげで、少しは色がついたというものです。
 
 花火が終わって、みんなが帰り始めました。その時、オペラハウスの方角から、一発の爆音。振り返れば、オペラハウスの上空に花火が一つ開いてました。多分、打ち残った花火でしょう。花火大会の時には見れなかった、照明に照らされたオペラハウスが威風堂々と見えました。

2007年12月17日

アーカイブ用HP

このブログのアーカイブ用に、ホームページを開設しました。
作成したばかりなので、ひとまずは記事の移動が中心です。
その後は、ホームページだからこそ出来るようなことをやっていきたいと思います。
どうぞ、遊びにきてみてください。
http://kaigara2au.web.fc2.com/index.htm

2007年11月27日

さよなら、ハワードさん

   2007年11月24日。総選挙の勝敗が決した後の、午後10時半を過ぎた頃だった。
 テレビを再びつけると、ちょうどライヴ映像。ハワードさんが大勢の人に迎えられて、壇上にあがるところだった。そして、英語がよく分からない私が、ハワードさんの演説を聴くのではなく眺め始めると、私は正直慌ててしまった。
(今回の総選挙で勝ったのはLabor 労働党であって、その党首はケビン・ラッドさんだよな?!ハワードさんじゃないよな?!)
 もし、私が勘違いをしていて、労働党の党首がハワードさんだったとしたら、そのすぐ前に、日本の家族に「野党が勝ったよ!首相が新しい人に変るよ!」と、少々興奮気味に電話で話したのが、カッコ悪い。 
  けれど、総選挙に負けたはずの壇上のハワードさんに、負けた後の惨めさのようなものはない。堂々とスピーチをしていて、日本なら「私の不徳が致す所で、」「ご支持の皆様方に多大なるご迷惑をおかけして、」、ゴメンナサイと頭を下げて、寂しい背中を見せつつ早々と立ち去るところだと思う。
 しかし、よくよく演説を観察していると、やっぱり、ハワードさんは負けていたのだった。所々、分からない英語が混じっていたけれど、ようやく私にもそれが確信できた。

 2007年11月24日。オーストラリアの歴史が変わった日に遭遇できたことを、私は光栄に思う。異国の地の選挙開票の速報特番を視聴できるなんて、滅多に無いことだ。
  開票結果の画面は、日本と同じようなものが、英語で書かれているものである。次々に結果がでる選挙結果に、数人のコメンテーターがやんややんやと解説をするというのも、日本と同じスタイル。今回の選挙のポイントである野党と与党が占める国会座席のパーセントがグラフで表されるのも同様の感じ。
  メモするのを忘れていたのが本当に勿体無かったのだけれど、私の記憶を手繰り寄せれば、Prospect (開票予想)の後に、「Too closed to call」(接戦で結果は未だ分かりません)、「Labor to Win」(労働党の勝ち)だとか、こんな語句とお会いできるのも、こんな時ぐらいだろう。因みに余談ではあるが、選挙番組の中で、落選した候補者の写真にバッテンが書かれシュレッダーにかけられる、という演出をみたけれど、ちょっとそれはツメタイんじゃないの、と思ったりもした。
 総選挙の結果は意外と早く着いたように、私は思う。夜の8時ぐらいには「Lavor Win」の文字が幾つかのチャンネルで踊っていたはずだ。ドラマ的には、最後まで接戦のまま持ち込むのが面白いけれど、Lavorの勝利ということで、早々と落ち着いた印象が私にはある。

 さて、ハワードさんの演説で印象的だったことを幾つか書く。ハワードさんの演説に惨めさはなく、堂々としていたのは前述の通り。けれど、その堂々とした表情の中に、全てが終わった後の寂しさのようなものがあった。後で書く、ラッドさんの演説の時に感じた、未来にかける意気込みというのが感じられなかった。それで、ハワードさんは確かに負けたのだと、私は分かったのである。
 演説の中身の詳細をお伝えするのは、私の英語力では到底不可能であるので、英語と政治に不得意な、異国の一般市民の目からみた印象を書く。
 ニュースではきっと触れられないだろうことを書くと、ハワードさんの演説の最中に、それに割り込もうとする聴衆がいた。それらに対して、ハワードさんが、「Please!」もしくは、多分こっちの方が正解だと思うけれど、「Freeze!」を何度も連発して、それらを制止して話を続けていたのが印象的である。このような場で野次が飛ぶというのも、私にはピンとこないし、日本なら警備員がすぐに飛んできて外に連れ出すだろうから、それが野次だったのか分からないけれど。自分の英語の理解力の低さを恨めしく思う。
 日本と全く異なる点をあげれば、家族を引き連れて演説をしていたことだ。奥さん、子供、その子供の配偶者など。それはラッドさんの演説時も同じ。ファミリー。オーストラリアにはそれにこだわる文化があるとは聞いていたが、それを改めて実感した。さらに、ラッドさんにしろ、演説の最後の方で、家族に御礼を述べるコーナーがあった。そこで、ちょっとした面白いことがあった。何を喋ったのか完全には理解できなかったけれど、多分、こんなことだったと思う。ハワードさんが奥さんの肩に手をまわし、何十年連れ添った奥さんに感謝すると言った。でも、この結婚生活の年数をどうやら実際より多く喋っちゃったみたい。それを奥さんが「違うでしょ」と言ったら、ハワードさんは、「未来にそうなるでしょう。これからまだまだずっと連れ添うでしょ」みたいなことを言って照れ笑いした。
 そして、演説が終了。ハワードさんは聴衆の中に入り、握手をしたり抱き合ったりして、退場していった。その間に、沈み行く夕日を思わせるBGMが流れていた。

 任期中、ハワードさんに重大な失策はなかったと思う。一つにオーストラリアの経済は現在とてもパワフルである。しかし実際は、金利の引き上げを抑えられず、公の病院の酷すぎる医療レベルの低下、教育問題、未解決の先住民問題などを残した。これらは、政治に詳しくない一般市民の、受け売りの情報だ。
 退場していく元首相には、11年半にも及ぶ歴代2位の長期政権をやり遂げた後の達成感というものが感じられた。「失敗による失脚ではなく、自然な世代交代である」。有終の美を見事に飾ったような感をうける。それらの印象が、ムーディーなBGMを背景とした、意図的に組まれた演出だったとしても。

 そして、時代は移り行く。ハワードさんの演説が終わって、11時少し過ぎ。場所はブリスベン。壇上に掲げられた「New leadership」という看板を背負って、新首相ラッドさんが、家族と共に壇上に上がった。ここで、まず女の目から反射的に感じてしまったことは、(ラッドさんの奥さん、派手やなっ!)。ハワードさんの奥さんは、どちらかといえば古風で大人しい感じ。家庭で夫と子供を陰ながら支えるお母さん。実際はどうだか知らないけれど。その彼女とは対象的に、ラッドさんの奥さんは、おっかちゃんである。こんなことを書いたら、ステレオタイプかな。「浪花の女」だと思う。姉さん女房に見える。しかし、穏やかな顔の夫の隣で、夫の演説に聞き入り、夫から感謝を口にされ抱き締められた時、彼女が見せた表情はカワイイと思った。この旦那にこの女房あり、のように。これも作戦かな。
 ラッドさんの演説の開口一番は、「OK!Guy!」。カメラが捕らえた聴衆の姿も、先ほどのハワードさんのそれとは、ちょっと違う。色々な民族が混じった多国籍、Tシャツを着ている。
 ラッドさんは演説で次のような言葉を連発していた。「Future」「Nation」「I want to」。
 巷に流れるラッドさんの写真は、とても優しい顔である。しかし、選挙戦を終え、夜も更けた演説時のラッドさんの顔には厳しさもあった。疲れもあったのだろうが、ハワードさんの演説になく、ラッドさんの演説にあった、未来への意気込みというものが、ラッドさんの顔に厳しさを加えたのだろう。
 総選挙の結果は全てが終わった後の安堵感をもたらすものではなく、ラッドさんにとっては、これからが全ての始まりなんだと思った。

 ちっぽけな一般市民の私であるけれど、これからオーストラリアがどう変わっていくのか、たいへん興味がある。ラッドさんと共に壇上に上がったファミリーの中には、明らかにアジア系の男性がいた。ラッドさんは親中派として知られる。これからアジアとの繋がりをますます深めていくに違いない。
 その中で、日本はオーストラリアにとって、どんな存在となるのか。オーストラリアに一時滞在している私は、オーストラリアに向かう日本人が、顕著に減少してきていると感じている。中国や韓国の存在感が高まる中、オーストラリアから撤退気味であるのが日本だと思う。実際に、オーストラリアに根をおろした日本人の方々は、今の状況をどう感じているだろう。一時滞在の身である私であるけれども、願わくば、日本がオーストラリアのベストパートナーの一つであってほしい。

 

2007年10月09日

アボリジニin オージー家庭

WWOOFでは数多くの貴重な体験をしましたが、今回は、アボリジニに関することを少しばかり。一般のオージーの家庭で、実際にアボリジニがどう思われどう扱われているのか、私には興味があることです。
まず、真っ先に遭遇したのが、トランプです。日本では大人がトランプに興じるのは一般的ではないと思いますが、西洋の文化では大人こそトランプで遊ぶようですね。仕事の合間に必ずといっていいほどしたトランプ。そのカードの柄がアボリジニアートでした。そして、壁にはアボリジニアートが幾つか飾られていました。アボリジニアートはオージーの家庭に、ごく普通に取り入れられているように感じます。

また、オーストラリアの音楽として、ディジェリドウの現代アーティストの曲も聴かせてくれました。コンサートも観に行っていて、CDはサイン入り。ディジェリドウとロック調の音楽を組み合わせたものでしたが、私が「この人は有名なアーティストか?」と聞くと、渋い顔で「そうは思わない」との答え。実は私も同感で、感想はそんなにイイ曲じゃないな(笑)。こう、辛口の感想を書けるのも、オーストラリアの滞在も長くなってきて感じてきましたが、ディジェリドウは決して珍しいものではないのです。ディジェリドウの現代アーティストというのは、巷にたくさん存在している。彼は、あくまでもその中の一人であって、「ディジェリドウだったら誰の曲であっても素晴らしい」と感じる必要はないわけです。けれど、私が思うに、それはたいへん良いことであって、ディジェリドウが現代調にアレンジされアーティスト同士が切磋琢磨する競争原理にさらされているということは、ディジェリドウが進化を続け、今もなお生き生きと生き続けている証拠だと思うのです。「侘び寂び」を好む、私の個人的な好みでは、ギターなど無しの純古典的なディジェリドウの音楽の方が味わいがあって好きなのですけどね。

話を戻しまして、私がお世話になったホストは、他のオージーよりも、アボリジニに興味があるのではないかと思った出来事を次に。ホストの奥さんが、満面の笑顔で私に話してくれました。ホストが、自分達のファームの地名の意味を調べたそうなのです。長い地名に英語を思わせる部分があったので、これまで英語かと思っていたが、それはどうやらアボリジニの言葉だった。そして、その意味がステキだったことを、大変喜んでいたのでした。私には、それが新鮮でした。アボリジニの言葉を気に入っているということがです。ご近所の人を招いてのパーティーでの歓談の際にも、嬉しそうに話していました。また、数日前に見た美しい虹の話題も出たのですが、ホストがRainbow Serpentと口走った時には、思わず私も「それを知っている」とはりきって言ってしまったものです。
このように、私のオージーのホストからは、アボリジニに対する好意を感じました。

ところで、私はオーストラリア人がアボリジニをどう思っているのか、たいへん興味があります。実際のところ、一般のオージーが、アボリジニに対して、どのような感情を抱いているのか是非知りたいと思っています。けれど、ホストファミリーに「アボリジニをどう思っていますか?」と疑問を投げ掛けることは、今回、出来ませんでした。答えに困ると思ったからです。アボリジニから土地を奪った祖先をもつオーストラリアの白人に、彼らをどう思うか聞く。後ろめたい歴史をもつ間柄について、どんな答えがかえってくるのでしょうか?

ここで注意事項です。実は私のホストは移民です。ご夫婦二人とも、オーストラリアとは違う国で生まれ育ち、事実上の結婚後、お子さんと共に移住してきました。だから、もしかしたら、生まれも育ちもオーストラリアのオージーとは感覚が違うかもしれません。アボリジニに対する見方も、生粋のオーストラリア人とは全く違うかもしれません。けれど、そもそも「オーストラリアの白人」とは何なのか。私は未だ多くを知らない未熟者なので、「オーストラリアの白人」=「征服民族の子孫」と捉えるところがありました。しかし、実際は、オーストラリアの白人が全て、アボリジニの土地を奪った先祖をもつわけではないのです。オーストラリアの白人の全てを一つの見方でまとめてしまう考え方は、「中国人と日本人は同じでしょ」と似たようなところがあります。世界的にみて、驚異的に単一民族国家といっても良いだろう日本で生まれ育った私は、他民族国家であるオーストラリアで、日本では気付けなかったモノの見方を学んでいる最中です。日本人は日本人の共通の歴史と文化をもつ。それは、ものすごいことですよ。一方、オーストラリア人は全てが同じというわけではないのです。それは単純なことのようだけれど、世界的にみても特殊な国だと思う日本にどっぷりの私が、それを聞き知りではなく体験で実感するには時間を要しました。

「アボリジニをどう思っていますか?」今は、この直接な疑問をホストに投げ掛けても良かったのではないかと思っています。一つに、答えに窮するかと思っていた疑問は、ホストが移民である点で、その捉え方は生粋のオーストラリア人(生粋という言葉を使うのもどうかと思いますが)とは異なっていただろう点に今は気付いていること。もう一つに、もし答えに窮したとしても、西洋の人達は、日本人が答えに窮するだろうと遠慮しがちなことに対しても、しっかり自分の意見を言おうとする気があるからです。例えば、政治の話。どうも私達日本人は、普通の日常会話で政治の話をすることに慣れていません。けれど、オージーの家庭に入って驚いたことは、小学生の子供までもが、「ハワードはこう、あの大臣はこうだ」、など、自分の意見をいっちょ前に親に話して聞かせているのです。ある日、私は、「新しく首相になった人は、どんな人か」と聞かれました。その答えを英語で上手く表現できなかった。その前に、新首相のことをまるで知らないのだから、はじめから英語の表現の問題ではなく、いろいろと反省した次第です。

2007年08月08日

今、シドニー 


 今回はアボリジニに関係無い話ですいません。近況報告として、ちょっとだけ自分のことを書いちゃいます。
 実はもう、シドニーに来ています。ブログの方は、未だ未だアデレードの序盤までしか進んでいませんが、私自身は既にアデレード、メルボルンを通り越していたのでした。書きたいことが山積みのアデレード編。このブログを書くに至った経緯を書いた後は、意識して調べたこと、1946年の憲法改正やアデレード博物館のアボリジニコーナーを詳しくご紹介しますので、もう少しスローなブログの更新にお付き合い下さい。

 それはさておき、シドニーに来た私の第一の目的はというと、それは職探し。このブログの初めで、「日本で働いてきた蓄えがあるまで旅をする」と書きましたが、いい加減、働きたいです。その理由を美しく書けば、「人間は働いてなんぼ、という意識(強迫観念かもしれない)が元会社人間の私にはあるため」であるし、俗っぽく書けば、「貯金がすっからかんになるまで旅する度胸は私には皆無」です(笑)。職探しを始めたばかりですが、やはりシドニーの求人数は多いですね。また、大都会で物の種類も大変豊富。パース、アデレード、メルボルン、そしてシドニーと移動してきましたが、シドニーの莫大な情報量(あらゆる点で)は、私には非常に魅力的です。

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  ここで少し、シドニーの雰囲気をお伝えしたく。上の写真は、シドニーの中心部から少し離れた、閑静でお洒落な住宅街が立ち並ぶGlebeという地域にあるBlackwattle Bay沿いの遊歩道から、シドニー中心部のビルディング街を撮影したものです。添えました、いたずら書きのような地図を参照してもらいまして。シドニーのメイン道路はジョージ・ストリート。メルボルンとシドニーを電車で結ぶセントラルステーションから、彼の有名なハーバーブリッジへと向かって、緩やかな上り坂となっている、この道をひたすら歩けば、シドニーの賑やかでゴチャゴチャした都市の雰囲気を、手っ取り早く知ることが出来ると思います(と、シドニーに着いてまもない人間が言う)。しかし、箱庭のような高層ビルに囲まれた狭い道路を歩くだけでは、その全体像がいまいち掴みにくい。一歩離れた所から都市を眺めてみるのも、自分のいる世界の小ささを知ることができて、気持ちの良いものです。

 そして、この写真に写っているビルディング。これが、ジョージ・ストリートを中心に長方形のような形をしているシドニー中心部、高層ビルの大凡全てである、と私は思っているのですが、シドニー在住の方はどう思われますか?パースやアデレードは田舎でした。そして、メルボルンとシドニーを訪れ、都会ぶりに感激しました。が、意外なことに、オーストラリア最大の都市のシドニーも、東京に比べれば小さいと私は思っています。東京の、無駄かもしれないほどのバカでかさを思い知りましたね。しかし、以上の感想は、何もよく分かっちゃいない初見でありますので、これからどう、シドニーの印象が変わるか楽しみです。

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 以下はおまけ。マット・デイモンを偶然見ました。シドニータワー(写真にも写っている京都タワーみたいなタワー)の近くで、『Australian Premiere of the Bourne Ultimatum with Matt Damon Tonight』というのをやっているのに、ジョージ・ストリートをブラブラ歩いていたら遭遇したのです。すごい人だかりで、マット・デイモンはファンの側に来てサインをするなどのサービス。ところで下の写真の中心に写っている彼。ベストショットが撮れたと喜んでおったのですが、彼はマット・デイモンですか???なかなかのハンサムなので彼だと思うのですが、その判別ができない程度のミーハー根性でカメラを向けておりました。
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2007年07月11日

アボリジニの旗があがった

此処のブログは、出来事をリアルタイムでお送りしない、へんてこりんなブログなんですが、今回は、少しは旬な話題に触れたいと思います。
NAIDOC WEEK  
   一昨日、7月9日は『National Aboriginer's day』。そして、7月8日からはNAIDOC WEEK(National Aboriginal Islander Day Observance Committee)が始まっています(〜7月25日)。オーストラリア各地で様々なイベントが行われていますが、ここアデレードも例外ではなく、私もイベントを見に行ったりしています。今回は、私の体験したイベントをご紹介したいと思っていましたが、予想外の状況に遭遇したため、この件は後に回すことにしまして(また、NAIDOCの意味を未だ理解していないので)、もう一つの話題の方を。
ビクトリアスクウェアの二つの旗
 7月9日。アデレードのビクトリアスクウェアの空には、いつものように、二つの旗がはためいていました。お馴染みのオーストラリアの国旗と、もう一つはアボリジニの旗です。そして36年前のこの日。1971年の7月9日。このアボリジニの旗は、初めて、この場所に掲げられたのでした。その後、この旗はキャンベラにあるアボリジニのTent Embassyでも揚げられ、アボリジニの旗として親しまれるようになっています。
アボリジニの旗
 上の旗がアボリジニの旗です。オーストラリアに来るまで、私はこの旗を見たことがありませんでした。オーストラリアの街中でしばしば見ることができ、何かの行事の際など、アボリジニの人々がこの旗の手旗を手にしているのをよく見かけます。我らが日の丸に似ているのが面白いこの旗の意味するところが以前から気になっていましたが、つい先日アデレード市の資料で、少し分かったので書きます(参考資料:www.adelaidecitycouncil.com/reconciliationなど)。

 黒はアボリジニの人々、赤は母なる大地、真ん中の黄色い円は太陽を意味します。赤色はまた、アボリジニが儀式に使うochre(赤色の粘土)も象徴するそうです。旗をデザインしたのは、Harold Thomas。彼はアリススプリングスで生まれたアボリジニで、Austrakian Art Scoolを卒業した最初のアボリジニということです。
 公式な旗として宣言されたのは、1995年(The Flag Act:Section5)。私達が見慣れているオーストラリアの旗は『official』fragで、アボリジニの旗は『recognised』(承認、認知)flagとされています。また、今のように、アデレードのビクトリアスクウェアにオーストラリアの旗と並んで、永続的に掲げられることが決まったのは2002年とのことでした。