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シドニー湾の新年花火!

2008年01月03日
 

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
早速ですが、オーストラリアにお正月はございません!大晦日も働いて、1月2日から普通に仕事が始まりました。日本の情緒ある年末年始が恋しくてたまりません。大掃除をして、去り行く年の一年間をしみじみと振り返る大晦日。寒さに身も心も引き締めて、新年の希望を心清らかに願う初詣。そもそも、私はNHKの「ゆく年くる年」をビデオ録画をしてでも見たいんです。このTV番組が大好きなんです。だからオーストラリアの年末年始は、私にはちょっぴり切なかったですね。しかし、少しでもいいから、この国で新年を迎える「お得さ」を感じたいではありませんか。年末年始にシドニーにいるという利点を生かし!だから行ってきました、シドニー湾のニューイヤー花火。日本人が、「混むのも承知、ホテル代が高くてもいい」とばかりに、わざわざ、このためにお正月にシドニーにやって来るという花火に(日本のお正月の方がよっぽどステキなのに…)。

 まず、夜の8時からダーリング・ハーバーでやった家族向けという花火を観ました。そんなに混んではいませんでした。しかも、花火が打ちあがるポイントが近く、臨場感がなかなかあって面白かったです。
 それを観てから、大大大混雑で名高い、サーキュラー・キーに向かいました。無謀なる挑戦です。サーキュラー・キーの港は、右手にオペラハウス、左手にハーバーブリッジが観える、絶好の花火観戦ポイントの一つです。私が初めにおおっと感動してしまったのは、シドニーの背骨といえるメイン道路、ジョージ・ストリートが、歩行者天国になっていたこと。
いつも車が行きかいする道路を大勢の人がぞろぞろとサーキュラー・キーを目指して歩くのは圧巻でした。この人ごみは新年の花火が終わってからピークに達するわけですが、それを見て感じたことは、外国人ばっかりだなあということ。人が多いからと地元のオージーは実際に行かずにTVで観戦すると聞いていましたが、その通りだなあと実感しました。そして、人ごみは結構ガラがワルイです。友達と行ったから安心でしたが、一人ではコワカッタでしょうね。ぎゃーぎゃー騒ぐわ、ぴーぴーホイッスル笛を意味も無く吹きまくる輩だわ。日本の初詣も人ごみがすごいですが、みんな新年を迎えて、どこか神妙で爽やかな顔つきをしていませんか。それに比べて、とにかくひたすらお祭り騒ぎで、これが夏のお正月というものかもしれません。夏祭りのノリなのでしょう。

 10時頃についたサーキュラー・キーは、ものすごい人だかりでした。押しつ押されつ、人にもまれながら、やっとこさ少しづつ歩ける状態です。足の踏み場もないほど、びっしりと人が場所とりに座っています。けれど、まだ座れるところがわずかに残されていました。
そこで、花火をひたすら待つことに。すっかり酔っ払い、イイ気持ちで大声で合唱をはじめた、白人のグループに囲まれて小さくなりながら。ちなみに、こう混雑する場所で、結構気になるのがトイレなのですが、サーキュラー・キーの駅のいつものトイレにはすごい行列ができていました。しかし、そこから少し離れたところに、立派な仮設トイレが幾つも設置されていました。そっちは空いていたうえ、掃除も頻繁に行っていたようで、仮設トイレと思えないほどキレイ。そのシドニー市(?)の姿勢には、素直に感心しました。
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 辺りが少し静かになりました。ハーバーブリッジに輝いていた、タイムカウントの砂時計の絵に、みんなの視線が注がれます。天に掲げられた幾つものカメラのレンズも、その時を待ちます。花火が打ちあがりました。みんなの歓声が花火の轟音と一緒になります。オペラハウスから、ハーバーブリッジから、そして背後のビルディングの屋上から、次から次へと花火が打ちあがります。夜空が一気に明るくなります。私のいたところからは残念ながら、オペラハウスは見れませんでしたが、ハーバーブリッジはなんとか。ハーバーブリッジの花火ときたら、上に向かって出て、横にも向かって出て、なんだこれは?!、三次元花火の様相。とにかく、火の玉が打ちあがる、打ちあがる、打ちあがる。この迫力はやっぱり、スゴイといわれるだけあります。でも、正直にいえば、私は日本の花火の方が好き。今回、初めて、オーストラリアの花火をまともに観ましたが、オーストラリアと日本の花火で明らかに違うところに気付きました。それは、大輪の花が開いた時の色彩の細かさと花が散り行く時の名残惜しさ。日本の花火はとても繊細で、花がチラチラと暗闇に消えていく時間が長い。儚さが美しい。一方、オーストラリアの花火ときたら、大味で、とにかく、いっぱい打ち上げちゃえって感じ。色もキャンディみたいなカラフルさで、おもちゃ箱をめいっぱいひっくり返しちゃったようだ。そんなことを言ってみましたが、オーストラリアの花火を私が楽しんだのも事実。大きな花火が続けさまに上がった時など、周りの外国人と一緒になって、すげーすげーと熱い歓声を送りました。一人寂しい異国でのお正月も、このシドニー湾の新年花火のおかげで、少しは色がついたというものです。
 
 花火が終わって、みんなが帰り始めました。その時、オペラハウスの方角から、一発の爆音。振り返れば、オペラハウスの上空に花火が一つ開いてました。多分、打ち残った花火でしょう。花火大会の時には見れなかった、照明に照らされたオペラハウスが威風堂々と見えました。

アーカイブ用HP

2007年12月17日

このブログのアーカイブ用に、ホームページを開設しました。
作成したばかりなので、ひとまずは記事の移動が中心です。
その後は、ホームページだからこそ出来るようなことをやっていきたいと思います。
どうぞ、遊びにきてみてください。
http://kaigara2au.web.fc2.com/index.htm

キャンベラ国会議事堂

2007年12月07日
 オーストラリアの首都、キャンベラに行ってきました。総選挙に中てられた、にわか政治ふぁんで、国会議事堂を見学です。訪れた日は、総選挙の終わった11月末某日。 repre.JPG
  オーストラリアの国会は二院制で、上院と下院からなるそうです。日本の参議院にあたる上院はSenate、衆議院にあたる下院はRepresentatives。上院下院の日本語訳は分かりにくいですね。議員数は上院で76名、下院はそのほぼ2倍。下院で過半数をとった政党の党首が首相になるシステムです。
 下院の入り口前では、議員名簿が自由にもらえるようになっています。これを見て思ったことが、ノーザンテリトリーの議員数が2名で、思ったより少ない。ちなみに、タスマニアは5名。ノーザンテリトリーは面積の割りに人数が少ないので、妥当な振り分けなのかもしれませんが、この議席数で、ノーザンテリトリーに多く住むアボリジニの声を反映できるのかなあと心配になります。 woman.JPG
 自分は女なので、女性の議員数というのも気になります。それが一目にわかる便利な表がありました。上の写真です。流石、オーストラリア。女性も多いです。オーストラリアの女性はタフで社会進出が進んでいるのは、街を歩いていても明らかです。これはオーストラリアの長所の一つですね。

 さらに、国会議事堂の中には、議員の写真も飾られています。新しい写真と古い写真がごちゃ混ぜになっています。おそらく、古くて色あせている写真は、長年議員を勤めている証、彼らの誇りに違いありません。 先月の総選挙の主人公、二人の写真を発見しました。こんなに重要な二人なのに、二人ともガラス戸の境界にかかっています。この辺が、オーストラリア人の適当さ、いやいや、大らかさですね。
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さよなら、ハワードさん

2007年11月27日

   2007年11月24日。総選挙の勝敗が決した後の、午後10時半を過ぎた頃だった。
 テレビを再びつけると、ちょうどライヴ映像。ハワードさんが大勢の人に迎えられて、壇上にあがるところだった。そして、英語がよく分からない私が、ハワードさんの演説を聴くのではなく眺め始めると、私は正直慌ててしまった。
(今回の総選挙で勝ったのはLabor 労働党であって、その党首はケビン・ラッドさんだよな?!ハワードさんじゃないよな?!)
 もし、私が勘違いをしていて、労働党の党首がハワードさんだったとしたら、そのすぐ前に、日本の家族に「野党が勝ったよ!首相が新しい人に変るよ!」と、少々興奮気味に電話で話したのが、カッコ悪い。 
  けれど、総選挙に負けたはずの壇上のハワードさんに、負けた後の惨めさのようなものはない。堂々とスピーチをしていて、日本なら「私の不徳が致す所で、」「ご支持の皆様方に多大なるご迷惑をおかけして、」、ゴメンナサイと頭を下げて、寂しい背中を見せつつ早々と立ち去るところだと思う。
 しかし、よくよく演説を観察していると、やっぱり、ハワードさんは負けていたのだった。所々、分からない英語が混じっていたけれど、ようやく私にもそれが確信できた。

 2007年11月24日。オーストラリアの歴史が変わった日に遭遇できたことを、私は光栄に思う。異国の地の選挙開票の速報特番を視聴できるなんて、滅多に無いことだ。
  開票結果の画面は、日本と同じようなものが、英語で書かれているものである。次々に結果がでる選挙結果に、数人のコメンテーターがやんややんやと解説をするというのも、日本と同じスタイル。今回の選挙のポイントである野党と与党が占める国会座席のパーセントがグラフで表されるのも同様の感じ。
  メモするのを忘れていたのが本当に勿体無かったのだけれど、私の記憶を手繰り寄せれば、Prospect (開票予想)の後に、「Too closed to call」(接戦で結果は未だ分かりません)、「Labor to Win」(労働党の勝ち)だとか、こんな語句とお会いできるのも、こんな時ぐらいだろう。因みに余談ではあるが、選挙番組の中で、落選した候補者の写真にバッテンが書かれシュレッダーにかけられる、という演出をみたけれど、ちょっとそれはツメタイんじゃないの、と思ったりもした。
 総選挙の結果は意外と早く着いたように、私は思う。夜の8時ぐらいには「Lavor Win」の文字が幾つかのチャンネルで踊っていたはずだ。ドラマ的には、最後まで接戦のまま持ち込むのが面白いけれど、Lavorの勝利ということで、早々と落ち着いた印象が私にはある。

 さて、ハワードさんの演説で印象的だったことを幾つか書く。ハワードさんの演説に惨めさはなく、堂々としていたのは前述の通り。けれど、その堂々とした表情の中に、全てが終わった後の寂しさのようなものがあった。後で書く、ラッドさんの演説の時に感じた、未来にかける意気込みというのが感じられなかった。それで、ハワードさんは確かに負けたのだと、私は分かったのである。
 演説の中身の詳細をお伝えするのは、私の英語力では到底不可能であるので、英語と政治に不得意な、異国の一般市民の目からみた印象を書く。
 ニュースではきっと触れられないだろうことを書くと、ハワードさんの演説の最中に、それに割り込もうとする聴衆がいた。それらに対して、ハワードさんが、「Please!」もしくは、多分こっちの方が正解だと思うけれど、「Freeze!」を何度も連発して、それらを制止して話を続けていたのが印象的である。このような場で野次が飛ぶというのも、私にはピンとこないし、日本なら警備員がすぐに飛んできて外に連れ出すだろうから、それが野次だったのか分からないけれど。自分の英語の理解力の低さを恨めしく思う。
 日本と全く異なる点をあげれば、家族を引き連れて演説をしていたことだ。奥さん、子供、その子供の配偶者など。それはラッドさんの演説時も同じ。ファミリー。オーストラリアにはそれにこだわる文化があるとは聞いていたが、それを改めて実感した。さらに、ラッドさんにしろ、演説の最後の方で、家族に御礼を述べるコーナーがあった。そこで、ちょっとした面白いことがあった。何を喋ったのか完全には理解できなかったけれど、多分、こんなことだったと思う。ハワードさんが奥さんの肩に手をまわし、何十年連れ添った奥さんに感謝すると言った。でも、この結婚生活の年数をどうやら実際より多く喋っちゃったみたい。それを奥さんが「違うでしょ」と言ったら、ハワードさんは、「未来にそうなるでしょう。これからまだまだずっと連れ添うでしょ」みたいなことを言って照れ笑いした。
 そして、演説が終了。ハワードさんは聴衆の中に入り、握手をしたり抱き合ったりして、退場していった。その間に、沈み行く夕日を思わせるBGMが流れていた。

 任期中、ハワードさんに重大な失策はなかったと思う。一つにオーストラリアの経済は現在とてもパワフルである。しかし実際は、金利の引き上げを抑えられず、公の病院の酷すぎる医療レベルの低下、教育問題、未解決の先住民問題などを残した。これらは、政治に詳しくない一般市民の、受け売りの情報だ。
 退場していく元首相には、11年半にも及ぶ歴代2位の長期政権をやり遂げた後の達成感というものが感じられた。「失敗による失脚ではなく、自然な世代交代である」。有終の美を見事に飾ったような感をうける。それらの印象が、ムーディーなBGMを背景とした、意図的に組まれた演出だったとしても。

 そして、時代は移り行く。ハワードさんの演説が終わって、11時少し過ぎ。場所はブリスベン。壇上に掲げられた「New leadership」という看板を背負って、新首相ラッドさんが、家族と共に壇上に上がった。ここで、まず女の目から反射的に感じてしまったことは、(ラッドさんの奥さん、派手やなっ!)。ハワードさんの奥さんは、どちらかといえば古風で大人しい感じ。家庭で夫と子供を陰ながら支えるお母さん。実際はどうだか知らないけれど。その彼女とは対象的に、ラッドさんの奥さんは、おっかちゃんである。こんなことを書いたら、ステレオタイプかな。「浪花の女」だと思う。姉さん女房に見える。しかし、穏やかな顔の夫の隣で、夫の演説に聞き入り、夫から感謝を口にされ抱き締められた時、彼女が見せた表情はカワイイと思った。この旦那にこの女房あり、のように。これも作戦かな。
 ラッドさんの演説の開口一番は、「OK!Guy!」。カメラが捕らえた聴衆の姿も、先ほどのハワードさんのそれとは、ちょっと違う。色々な民族が混じった多国籍、Tシャツを着ている。
 ラッドさんは演説で次のような言葉を連発していた。「Future」「Nation」「I want to」。
 巷に流れるラッドさんの写真は、とても優しい顔である。しかし、選挙戦を終え、夜も更けた演説時のラッドさんの顔には厳しさもあった。疲れもあったのだろうが、ハワードさんの演説になく、ラッドさんの演説にあった、未来への意気込みというものが、ラッドさんの顔に厳しさを加えたのだろう。
 総選挙の結果は全てが終わった後の安堵感をもたらすものではなく、ラッドさんにとっては、これからが全ての始まりなんだと思った。

 ちっぽけな一般市民の私であるけれど、これからオーストラリアがどう変わっていくのか、たいへん興味がある。ラッドさんと共に壇上に上がったファミリーの中には、明らかにアジア系の男性がいた。ラッドさんは親中派として知られる。これからアジアとの繋がりをますます深めていくに違いない。
 その中で、日本はオーストラリアにとって、どんな存在となるのか。オーストラリアに一時滞在している私は、オーストラリアに向かう日本人が、顕著に減少してきていると感じている。中国や韓国の存在感が高まる中、オーストラリアから撤退気味であるのが日本だと思う。実際に、オーストラリアに根をおろした日本人の方々は、今の状況をどう感じているだろう。一時滞在の身である私であるけれども、願わくば、日本がオーストラリアのベストパートナーの一つであってほしい。

 

彼らの彼らによる彼らのための組織

2007年11月23日

 当たり前のことを書くかもしれませんが、他人から一方的に与えられたものというのは、それほど嬉しいものではありませんね。お金をくれるというのなら喜んでおこぼれに預かりたいほど、今、お金が欲しい私ですけど。まあ、それは冗談として。自分自身の努力で獲得したことは、まさに自分自身の血や骨や肉となって、確かな存在感でもって生き続けますね。

 現代を生きるアボリジニの方々が、現状の問題を解決したいのであれば、それはアボリジニの方々自身の手で成し遂げるべきだと思っています。と同様に、現代の日本は余りにも多くの問題を抱えていますけど、それも日本人自身の手で解決しなくてはいけないんだと思います。 他人に解決してもらったら、何も面白くないですよ。

 自分達の問題を自分達自身の手で解決するから、自分達の歴史にすることができる。でも、自分達の手だけでは小さな力だから、そこに他者との協力が生まれ、大きな力となって歴史が動いていく。

 蛇足気味なことを書きますけれど、「アメリカが戦後日本に自由をもたらした」と簡単に断定するのは、あんまり愉快ではないですね。歴史に詳しくない私がこんなこというのもアレですが、江戸だとか明治大正昭和と自由を求める日本人の活動家はいて、そういう人達が壮絶に戦い続けてきた結果でもあるんです。私達日本人は、もっと自分達の祖先の血の滲むような努力の上に、自分達の生活が築かれていることをもっと感謝すべきだと思いますよ。日本人のご先祖様は立派だったということを、きちんと認識すべきだと思うんです。

 余計過ぎる前置きが長くなりました。 今日から再び、1967年の憲法改正にまつわる展示会、The Journeyを引き続きご紹介したいと思います。

 時は1958年、場所はアデレード。the Victorian Aborigines Advancement League(VAAL)等、8つの組織の代表者25人が、ある目的のために一堂に会しました。それはアボリジニへの差別を無くし、平等の権利を獲得するために、共に力を合わせること。
  アボリジニのアボリジニによるアボリジニのための組織を結成すること。

 会合は成功に終わり、Bert Groves(NSW)、Doug Nicholls(Vic)、Jeff Barnes(SA)を代表として、最初の全国的なアボリジニの組織、the Federal Council for Aboriginal Advancement(FCAA)が結成されました。


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 そして1962年、FCAAの年次協議会は、全国規模の請願活動を開始します。
 請願書は、賃金や雇用機会での差別や、先祖伝来の土地所有の権利を否定されていることに言及。FCAAはアボリジニの権利の平等、生活水準の向上、給料格差の是正、産業保護、無料の義務教育、アボリジニを所有者とする保留地の保持を求めました。

 一年に渡り、全ての州都や地方都市、田舎町まで及んで、路上にて署名活動が続けられた結果、10万人の署名を集めました。これは当初の目標25万人より少なかったとのことですが、平日仕事を終えた後や週末に、ボランティアの手によって、署名活動は支えられたのでした。

 こうしてFCAAは、Torres Strait Islanders(FCAATSI)共に、憲法改正への推進役としての役目を果たしていきました。

ブリスベンよもやま

2007年11月18日

 激安航空会社ジェットスターの就航により、オーストラリアの新しい玄関口として期待されるブリスベン。しかし、定番の玄関口ケアンズやシドニー等の他の都市と違って、通過地点としてのイメージが強く・・・。シティ内に見所が少ないのは否定しようがないのですが、それでも他の都市に移る前に、1泊ぐらいはしてみるのも宜しいかと思います。ブリスベンには、日本人をひきつける観光地として、もうちっと頑張って欲しい。その願いをこめて、今回は、私推薦の観光地をご紹介。

 と、その前に。ブリスベンのアボリジニ情報、博物館、図書館、植物園と来まして、お次は美術館と行きたいところでしたが、すみません、時間切れでじっくり観ることができませんでした。

 美術館もサウスバンクにありまして、州立図書館をはさんで二つあります。博物館に隣接したクイーンズランド美術館と、反対側には下の写真の現代美術館があります。現代美術館には、現代アボリジニ作家の作品が展示されています。テレビ画面を額縁にみたて、絵ではなく動く画像を作品としているものなど、奇抜な作品も多かったです。


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 他の州立美術館のアボリジニアートも観てきて思うことは、現代のアボリジニ作家達は、伝統的な形式に全くこだわらず、かなりすっ飛んだ発想で作品を作っている人も少なくないなあということです。最近、何が芸術なのか、よく分からなくなっている私には、良し悪しがいまいち判断できないのですが。「日本人が作ったから日本人アートで良い」というのが、明らかにナンセンスであるのと同様に、「アボリジニが作ったからアボリジニアートは良い」という考えもそうではないか?木の皮に単純で限定された色だけで描かれていた伝統的なアボリジニアートと違い、現在のアボリジニアートは千差万別。本当にスタイルはバラバラ。これぞ、アボリジニアートという共通の形式は全くなく、アボリジニアートかどうかは、単に作家がアボリジニかどうかで決まっているのが実情であると思います。アボリジニアートという枠組みが無くなる時代がもし来るとしたら、それはきっとオーストラリアにおけるアボリジニの存在が、今とは異なる、一段階ステージを上に上がった世界での出来事になると思います。「アボリジニ作家」ではなく、単純に「作家」として称される次世代の未来です。

 アボリジニアートについて、よく知りもしないくせに、ちょっと蛇足が過ぎましたか。話を初心に戻して、ブリスベンを訪れたら、必ず訪れて欲しい観光地をご紹介します。

 それはブリスベンからバスで30分、本数も多く交通の便の良い。ローンパイン・コアラサンクチュアリでございます。世界最大最古のコアラ園です。とある本によれば、130頭を超すコアラがいるそうです。そのコアラの多さは、実際に訪れてみて、ハンパではありませんでした。コアラばっかり!コアラばっかり!コアラばっかり!赤ちゃんもいっぱい。私はコアラが普通に好きなだけでしたが、ここでコアラに囲まれて、コアラを実際に触って、大好きになりました。ものすごく好きになりました。コアラの顔、もさっとした動作を思い出すだけで、思わず顔がにやけてしまうコアラバカになりました。ここの園のコアラはよく動いてくれたし、オスのコアラの鳴き声も聞けました。うおーうおーと、えらく野太い声で吠えるんですよ。

 また、園内に放し飼いされているカンガルーは触り放題です。コアラサンクチュアリという前に、コアラ大好き人間にとっては、まさに夢のコアラパラダイス。ここにいけば、もう他の動物園に行かなくてもいいんじゃないかなあとさえ思います。また、コアラ抱っこ写真には15ドルかかるのですが(貧乏旅行者泣かせ)、実は触るだけなら無料なんです。園内では一日中、鷹ショーやシープドッグショーなどのイベントがありますが、その一つ、コアラプレゼンテーションが終わった後、飼育員さんに抱っこされたコアラを触ることができます。コアラの毛はジュータンのようでした。このちょっとお得な情報、場末のここのブログを読んで下さってる皆様だけの胸の内に留めてくださいね(笑)。


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