ロットネスト島の影
ロットネスト島は、かつて、アボリジニの刑務所として使われていました。前回の共同墓地はその時代の彼等のお墓です。この後、私が訪れたバンバリーのギャラリーで、フリーマントル刑務所の展示会ESCAPEを見ましたが、『ロットネスト島に行きたくない!』という見出しのボードがあったことを思い出します。パースやフリーマントルを含むスワン川流域のアボリジニ達が、本土からこの島に送られました。その罪は、例えば窃盗罪だそうです。白人の入植者がカンガルーや海産物をとれば、アボリジニは入植者達の家畜をとる、といった。そして、この島に送られたアボリジニの多くが、ここで亡くなりました。どこかで読んでとても印象に残った文章があります。『彼等の多くが故郷を想う寂しさによって亡くなった』。
刑務所の役目を終えたロットネスト島には、その後、白人の少年院が置かれました。また、塩の生産地としての過去もあります。というのも、ロットネスト島には塩の湖が幾つも点在し、塩分濃度が高いために結晶化した塩を、容易に湖の岸辺で見ることができます(今は塩を生産していません)。そして、第二次大戦時には軍事拠点としても使われました。そして今、ロットネスト島は夏のアクティビティを楽しめる、代表的なリゾート地となっています。そのような島の歴史にまつわる無料ガイドツアーもありますので、ロットネスト島にお越しの時は、ぜひ参加してみることをお勧めします。
私の日記を読み返すと、明るく楽しかったロットネスト島のことを書いたページの裏側に、こんなことを書いていました。楽しいことだけを日記には書きたいものですが、書かずにはおれなかったことです。『アボリジニの影。アボリジニは本当に気の毒だ』。
ホッとリフレッシュするための観光旅行をするなら、出来れば楽しくて幸せなことだけを見ていたいものです。悲しい歴史を知ってしまって悲しい気持ちになるのは、正直いえば、あまり嬉しいことではありません。しかし、フリーマントルやロットネスト島で、アボリジニの悲しい歴史に、ふと目が止まってしまった。観光地の所々で、彼等の歴史の断片に出会うたびに、私は気の毒に感じました。気の毒と言う言葉では到底表現できるものではないけれど、それがアボリジニについて何も知らなかった人間の率直な感想でした。