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フリーマントル博物館



  旧フリーマントル刑務所は代表的観光地ですが、私はコワかったので行きませんでした。代わりに、昔の移民達の生活用品等が展示されているフリーマントル博物館に行きましたが、もしかしたら、こっちの方がもっとコワい場所だったのかもしれません。昔風のお洒落な建物(と、その時までは思っていた)博物館の奥へ進むと、『CELL→』と書かれている張り紙が貼られています。その意味を知らなかった私がさらに進むと小部屋に出ました。部屋には私だけ。さらに奥には真っ暗な部屋があるようで、入り口にあった案内をいつも通りに読み始めました。が、途中で心底ギョッとして、一目散に部屋から逃げ出しました。どうやら、幽霊がでるそうなんです。この博物館の建物は昔療養所に使われていて、半ば強引に収容された患者も多くいた。その幽霊を目撃する人もいれば、目撃しない人もいるとか何とか。『CELL』とは個室や独房を意味するのでした。





 
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  さて、ゴーストな前置きが長くなりましたが、フリーマントルの移民の歴史を遺物と共に紹介するこの博物館は、フリーマントルに住んでいたアボリジニに関する情報を得ることもできます。私が興味を持ったのは、フリーマントルの年表でした。残念ながら、この旅の時分、未だ私にメモを取る習慣が十分に無かったため、記憶を頼りに書きますが。一番印象に残ったことは、スワン川流域(パースやフリーマントル)の入植が開始された、かなり初期の段階で、はしか(だったはずです、入植者が持ち込んでしまった伝染病の類であるのは確か)によって、大多数のNoongarが亡くなったことです。Noongarはスワン川流域に住んでいたアボリジニです。今、アボリジニの資料を少しずつ読んでいますが、「はしか(伝染病)により多数の方が亡くなる」という記述をちらほら見かけます。白人の入植が進むにつれアボリジニの抵抗も起こり、結果的に抑えられますが、これは直接の戦いの影響だけでなく、病気の影響というのも無視できないほど大きいような印象を持っています。それが何を意味しているのか、その背景にあるものは何だったのかは、未だ分かりません。

  フリーマントルは、この地方に住んでいたアボリジニにとって、かけがえのない夏のキャンプ地だったそうです。ここは、食料である海産物も取れ、豊かな土地です。そのアボリジニにとっての楽園に、スワン川植民地の刑務所がおかれ、悲しい歴史の地となってしまいました。


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