? 当初の計画では、パースからアデレードに向かう前に、ウルル(エアーズロック)を訪れる予定でした。日本を経つ前に、エアーズロック行きの航空券とYHAの宿の手配まで済ましていました。しかし、それらをキャンセルして、ウルル行きを延期しました。それは何故か?というのが、今回の話。
私は、相部屋格安宿、もとい、バックパッカーホステルを通常使って旅していますが、この弱点といえば、テレビのニュースを満足に見られないことです。テレビが無い宿もありますし、大抵はリビングに一台あるものですが、シンプトン(シニカルな大人向けアニメ)が流れている場合が多いんですよね。外国の人は本当にこのアニメが好きですね。私はニュースが見たいのに。といっても、英語のニュースを見たところで、私の英語力では理解にほど遠いのですが、折角、オーストラリアにいるのなら、この国の事をもっと知りたいものです。そのため、図書館で現地の新聞を手にしてみるのですが、やっぱり新聞も、私の英語力では理解にほど遠いので、時々しか見ません。大の大人なら、もっと世の中の動きに敏感にならんといかんのですが。
5月のある日、パースの州立図書館で、The Australianを手にしました(The Australianは代表的な新聞の一つ)。そして、新聞を読むというより見る感じで新聞をパラパラとしていたのです。その時、アボリジニの記事が目に飛び込んできました。英語の電子辞書片手にたどたどしく読んで、今、ウルルの拠点であるアリススプリングスのアボリジニのコミュニティで問題が発生していることを知りました。その時にはよく分からなかったことも含めて、その問題について触れてみます。
問題は、アリススプリングスのアボリジニのコミュニティが、政府が提案した土地の賃貸契約を拒否した、ということです。長年に渡る土地の所有権問題です。私は未だこの問題をよく理解していないので、なんとも中途半端な情報になってしまい申し訳ありませんが。政府がアボリジニ居住地のインフラを整備する代わりに、政府が土地を管理し、アボリジニに土地をリースするといった内容のようでした。それを彼等は拒否したのです。
私がこれから楽しい観光に向かおうとするアリススプリングスの地で、アボリジニ達が大きな問題を抱えているというのは、私の気を重くしました。そして、さらに気が沈んだことは、この新聞記事によって、アリススプリングスのアボリジニのコミュニティではドラッグと酒が蔓延し、大きな社会問題となっていることを初めて知ったからでした。アボリジニの聖地であり、象徴ともいえるウルルの地方のアボリジニが厳しい状況にいる現実がありました。
勿論、ウルルの観光とアリススプリングスのアボリジニの問題を全く切り離して考えることも出来ます。しかし、私には、今、私がウルルを訪れるのは、時期尚早のような気がしました。彼等の問題が落ち着きを見せてからでも。また、ウルルを訪れるなら、もっとアボリジニについて勉強した後の方が、より多くのことを感じ取れるのではないかとも思いました。
以上が、私がウルル行きを延期した理由の一つです。実のところ、エアーズロック行きの飛行機が出発する予定日まで、パースにいるのも飽きちゃったっというのもあるのですが、日程を予定日の前に変更するのではなく、「予定は未定」の延期にしたのは、こんな理由からでした。
オーストラリアのとあるユースホステルでのことです。メルボルンから来た白人のおばさんと、オーストラリアの地図を見ながら気候や地形等の話をしていたのですが、ふいに、おばさんが第二次世界大戦で日本軍がオーストラリア人にしたことを話し出しました。私は未だ、英語をスンナリと理解できないので、おばさんが何を喋っているのかよく分からなかったのですが。とにかく日本軍はオーストラリア人に酷いことをした。そして、それは、私がほとんど何も知らない歴史だということを痛感しました。それで私は申し訳ない想いがして、そのおばさんに、「I'm sorry to hear that.」と言うと、おばさんは「アナタがしたことじゃない」と答えたのでした。
私はこのブログで、アボリジニについて書いていきますが、どうしてもアボリジニの悲しい歴史について触れなければなりません。そして正直に言うと、私は、先住民である彼等が彼等の土地を失ってしまったことに同情的です。けれど、ここでブログを書き進める前に、皆様にご理解頂きたいことは、私は、今を生きる白人のオーストラリア人を非難する気は決して無いということです。
私はオーストラリア人に感謝しています。この旅の中で、私は多くのオーストラリア人に助けられました。旅先で話しかけてくれては一人旅に素敵な経験をプラスしてくれました。迷子になれば、私の後を走ってまで追いかけてくれて、その場所までつれていってくれました。下手くそな英語を喋る私に、笑顔でつきあってくれるオーストラリア人と何人も出会いました。時には冷たい態度をうけ悲しい思いをすることもあるけれど。オーストラリア人の多くは、旅人にとてもフレンドリーで優しいです。それを有難く思っています。
過去の歴史は過去の人間がしたことであり、今を生きる人間がしたことではありません。けれど、先祖がしたことについて、子孫は何らかの責任を持たなくてはならないのかもしれません。また、過去を別としても、今現在に問題が存在しているのであれば、それこそ、今を生きる人間が力を合わせて解決しなくてはいけないことなのだと思います。